赤ノ録

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日本の立ち入り禁止区域&禁足地7選|封印された禁足地の真相まとめ

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日本には皇族ですら立ち入りを禁止された場所がある。一部の関係者のみ立ち入りを許された場所には何が隠されているのか。

 

今回はそんな封印された場所の真相に迫っていきましょう。

 

 

それでは、日本に存在する禁足地を7つ厳選してご紹介致します。

 

福岡県宗像市「沖ノ島」

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※画像引用元はコチラ

 

福岡県宗像市(むなかたし)に属する、九州の本土から約60キロ離れた所に浮かんでいる「沖ノ島」は島全体が禁足地となっている。沖ノ島の中腹には宗像大社沖津宮(おきつぐう)があり、宗像三女神の一人である「田心姫神(たごりひめのかみ)」が祀られている。2017年に「神宿る島」として世界遺産に登録された。※宗像三女神は、九州から大陸への海上を守っている女神姉妹と言われている。

 

沖ノ島に立ち入る事ができるのは、本土の宗像大社から派遣された神職たった一人のみ。一人の神職が10日交代で管理し、神聖な沖ノ島から国家安泰の祈りを捧げ続けているという。

 

年に一度の(毎年5月27日)お祭りの日は男性に限り上陸が認められるのだが、やはりその数も200人程度に制限されている。※ただ、そもそも島全域が宗像大社の私有地なので上陸には宗像大社の許可が必要となる。

 

この沖ノ島についてはほとんど情報がありません。その理由はやはり沖ノ島の厳しいルールにあります。以下、ルール。

 

  • 島に入る前に禊をする
  • 女性は立ち入り禁止
  • 四本足の動物は食べてはいけない
  • 島にある物は持ち出し禁止 などなど

 

また、この島は別名「不言様(おいわずさま)」と呼ばれ、島で見た事や起こった事を人に話してはならないというルールが存在する。これらのルールによって、島に関する情報は固く守られているというわけだ。

 

沖ノ島の歴史を振り返ると長くなってしまうので省略しますが、沖ノ島には遺構や遺物が千年以上も地表に露出したまま残されているという。これらのモノから、大昔に沖ノ島では「国家的な祭祀」が行われていたと推測する学者や「日本の国家祭祀の起源」であるといった指摘をする者も存在する。もしかすると、沖ノ島が立ち入りを禁止しているのには「環境を守る」以外にも何か意味があるのかもしれない。

 

 

長崎県対馬市「オソロシドコロ」

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九州の長崎県に属する島「対馬(つしま)」にも禁足地が存在する。※ちなみに、対馬は島全域が対馬(つしま)市の1島1市体制となっている。近くには、先ほどの沖ノ島と5つの有人島があり、これらを合わせて「対馬列島」や「対馬諸島」などと呼ばれている。

 

この対馬には「天道信仰」という対馬独自の祭祀から発生した信仰が存在する。

 

以下、対馬伝説。

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※画像引用元はコチラ

 

673年、対馬に虚船(うつろぶね、うつぼぶね)に乗って高貴な身分の女性が漂着した。その女性が朝日に向かって小用を足していると、なぜかその時「日光」でみごもってしまった。※母親宇宙人説も存在するが、今回は省略します。

 

無事に生まれてきたその子供は「日光=お天道」から太陽の子として「天童(天道)」と名づけられた。天童は9歳で上京し、仏道に入って修行をしたという。その後、対馬に「天童法師」として帰島してくるのだが、やはり天童は不思議な力を開花させていた。天童は神の言葉を伝えることでき、嵐をまとって空を飛ぶことができたというのだ。

 

そんな噂を聞いた当時の天皇(文武天皇)は、自分の病を治せるかもしれないと急遽対馬に使者を送り、天童法師を呼びつけた。急いで「飛んで行った」天童法師だが、嵐を伴いながら天皇の元に降り立ってしまったので大いに驚かれたという。

 

その後、十七日間の祈祷の末、天童法師は見事天皇の病を癒すことに成功。天皇は天童法師に深く感謝し、功績を称え「贈り名」を送ったという。

 

この天童法師が実在の人物かどうかは分からないが、こういった伝説を骨格にして対馬の天童(天道)信仰が形成されていったという。※天童法師誕生伝説には諸説あり。

 

そして、現在の対馬市にある「八丁郭(はっちょうかく)」と「裏八丁郭(うらはっちょうかく)」と呼ばれる場所が天童法師とその母のお墓になる。この八丁郭(天道法師のお墓)と裏八丁郭(母のお墓)は、対馬にある龍良山(たてらさん)という山の麓に位置していて、この山は天童法師が神事を行っていた山とされ山全体が「天道信仰」の聖地となっている。

 

昔から山への立ち入りはもちろん、樹木の伐採も禁じられていたが、大正時代に「龍良山原始林」として国の天然記念物に指定された。ただ、特に強いタブーの地として八丁郭と裏八丁郭は人の立ち入りを今でも強く禁止している。

 

八丁郭に至っては地元民から「オソロシドコロ」と呼ばれ、近寄ると祟りがあるなどと言われているという。

 

※オソロシドコロの名前の由来はそのまま「恐ろしい所」からきている。最近になって一般人でも立ち入る事ができるというが、入るには以下のルールを守らなくてはならない。

 

  • 塩を撒いて清める
  • 転んではいけない
  • 大声を出さない
  • 落し物は拾わない

 

これ以外にも、天童法師のお墓である八丁郭では「靴を脱がなければならない」「お参りの際は、おしりを向けてはいけない」などのルールがあるという。地元民ですら近づかない場所となっていますが、訪れる際はこれらのルールをしっかり守り祟りには十分気をつけましょう。

 

ただ、タブーを作るのはそこが神聖な意味を持つ場所の場合がほとんどです。つまり、もしかするとこれらは神聖な場所を守るための一種のカモフラージュなのかもしれません。

 

千葉県市川市「八幡の藪知らず」

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※画像引用元はコチラ

 

千葉県市川市にある通称「八幡の藪知らず」は、古くから禁足地として有名な所です。呼び名は他にも「不知森(しらずもり)」や「不知藪(しらずやぶ)」などと称される場合がある。この森は少なくとも江戸時代頃から、入ってはならない場所とされ「この藪に足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」といった伝承が昔から存在していた。

 

ただ街道沿いにあるこの森の大きさは奥行き、幅ともに18mほどで、けして人が迷うほどの広さとは言えない。江戸時代以前にもこの森が存在していたのかは不明だが、少なくとも江戸時代の文献には現在と同程度の広さであったことが記されている。

 

ではなぜ昔から禁足地と言われ、「二度と出てこられなくなる」という噂が生れたのか。いくつかの説があるので見ていきましょう。以下。

 

  • 誰かのお墓説
  • 結界説
  • 毒ガスが出でいる説
  • 底なし沼だった説

 

このように、なぜ「八幡の藪知らず」が禁足地になったのかはわかっていない。なんにせよ、タブーを作る事によって何かを守ろうとしているのは確かだろう。先ほども言ったが、やはりタブーがある場所は神聖な意味を持つ場所の場合が多い。この事から、近隣の人たちはこの地に対して畏敬の念を抱いており、現在も立ち入る事はしないという。

 

島根県・出雲大社「御神体」

※画像引用元はコチラ(出雲大社)

 

出雲大社の御祭神は古事記に登場する大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)です。大国主大神は「国づくり」の大業を行った神様と知られ、その偉業は今も日本全国多くの地域で確認できます。大国主は国づくりの最中、農耕・漁業・殖産から医薬の道まで、様々な八百万の神様に多くの知恵と救いを与えた事で知られています。

 

天照大御神へ「国譲り」が行われた現在でも、毎年10月には大国主大神の元へ八百万の神様達が集まり「神様の会議」が行われると信じられており、出雲大社に神様が集まると考えられている。この事が由来となり、10月は神様がいない月として「神無月」と言うが、出雲の地では10月を「神在月」と呼ぶ。※国譲りや大国主大神の歴史についてはコチラの記事⇒【古事記に記された天皇の秘密】をご覧ください。

 

そんな出雲大社には、皇族ですら立ち入りが禁止されている場所が存在している。出雲大社では毎年10月に神様達が集まり「神様の会議」が行われる。その為、出雲大社には様々な神様の社が建てられており、それぞれのご神体が祀られている。

 

※念の為、そもそも御神体について説明しておこう。御神体とは、簡単に言うと「神様が宿るもの」の事を指す。大昔には富士山などの山そのものを御神体と崇めていた例もあるが、一般的には、大岩や大木、加工品であれば鏡や剣、彫刻や神像などが存在している。

 

ただ、大国主大神の御神体の正体についてはわかっていない。確かに、御神体を一般公開していないところや、神職ですら触れる事を許されない物などはこれまでにも多く確認されている。だが、大国主大神の御神体については宮司ですらその姿を見たことがないという。

 

大国主大神の御神体は本殿の中だとされているが、そもそもそこには誰も立ち入る事ができないというのだ。(一説では宮司や天照の血脈は入れるらしい)

 

これだけ有名な神様の御神体の正体。やはり気になる。そう考えた者が江戸時代にいた。当時この地域を支配していた武将の部下が強引に本殿へ押し入った。そしてそこで見た物は、なんと「巨大なアワビ」だったという。

 

これは江戸時代に編纂された雲陽秘事記(うんようひじき)という歴史書に記された内容なのだが、アワビのサイズは15メートル程でいくつかの穴が空いていた。ジッと見つめていると、さらにその穴から巨大な蛇が現れた。あまりの恐怖に部下は慌てて本殿から逃げ帰った。以降、大国主大神の御神体を覗こうとする者は現れなかった。

 

現在、出雲大社には日本最大の注連縄(しめなわ)が取り付けられているが、本来の向きとは逆向きに取り付けられている。本来は境界を作り、邪悪なモノを入らせない為の物だが、何故出雲大社は逆向きなのか。もしかすると、本当に出雲大社には…。

 

出雲大社や大国主大神については様々な都市伝説が存在している事から、この御神体の正体が全ての鍵になるのではないかと考える者もいる。もしかすると、国譲りの真実や今の歴史に大きな変革をもたらす物が今でも祀られているのかもしれない。

 

和歌山県高野山・奥の院「御廟(ごびょう)」

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※画像引用元はコチラ

 

和歌山県にある高野山は全て真言宗総本山の寺院「金剛峯寺(こんごうぶじ)」の境内となっている。高野山は宗教都市のような構成になっていて、日本仏教における聖地の1つである。※ちなみに「真言宗」とは、仏教の代表的な宗派13宗派の1つです。

 

高野山には織田信長をはじめとし、有名な戦国武将や皇族のお墓、慰霊碑が点在している。全てが真言教を信仰していたわけではないが、この事からも真言教が格式高いものだとわかる。

 

高野山には多数の寺院やお墓などが立ち並ぶが、大きく分けると6地区が存在する。その中の「奥の院地区」のさらに奥に禁足地が存在する。そこは「御廟(ごびょう)」と呼ばれ、この真言教の開祖「弘法大師空海」が今も修行をしている場所だとされている。

 

この御廟に立ち入りを許されているのは「維那(いな)」と呼ばれる特殊な役目の僧侶のみ。維那は御廟にいる空海のために、朝晩二回の食事と衣服を運ぶ事を唯一許されている存在だという。もちろん、御廟の中での事は一切他言無用とされている。

 

三重県・伊勢神宮「ご正殿」

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※画像引用元はコチラ

 

【世界の立ち入り禁止エリア】の記事でも紹介した三重県にある伊勢神宮。伊勢神宮は天照大御神(あまてらすおおみかみ)や豊受大御神(とようけのおおみかみ)などの神様を祀る神社として知られている。

 

天照大御神が伊勢神宮の「内宮」に祀られていて、豊受大御神が伊勢神宮の「外宮」に祀られている。また「別宮」と呼ばれる所には他にも多くの神様が祀られているという。

 

そんな伊勢神宮の中で、皇族でも立ち入りを許されていないのが、内宮と外宮それぞれの中にある「御正殿(ごしょうでん)」と呼ばれる場所です。ここはそれぞれの神様が鎮座しているといわれ、どこよりも神聖な一画とされている。

 

また、三種の神器の一つ、八咫鏡(やたのかがみ)の保管場所であるとされるのがこの「内宮」なのだが、実際に八咫鏡が置いてある場所などの詳細は不明。※八咫鏡は持ち出す事も見る事すらも禁止されている。

 

伊勢神宮で一番隠したいものがこの八咫鏡であると考えられる。他にもご神体などがあると噂されているが詳細は不明。ある一説では、伊勢神宮には「地下宮」があるとの噂も存在する。

 

このように、かなり秘密が多い場所となっているのだが、これらはやはり「八咫鏡」に深く関わっていると考えられる。もしかすると、八咫鏡には何か秘密があるのかもしれない。例えば、模様とか・・・

 

山梨県甲府市「花魁淵」

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※花魁淵(藤尾橋)

 

日本最恐の心霊スポットで知られる「花魁淵」は、日本一の心霊スポットという事もあり、幽霊の目撃情報が後を絶たず、立ち入れば呪われると言われている。そんな花魁淵だが、実は、本当に立ち入り禁止となっているのは、現在の花魁淵から約1㎞西に行った先にある「藤尾橋(本来の花魁淵)」となっている。

 

なぜ本来の場所と違う場所が名所となっているかについては、ここが「花魁淵」と呼ばれるようになった所以まで遡る必要がある。時代は戦国時代まで遡ります。

 

当時、山梨県を治めていたのがあの有名な武田信玄なのだが、信玄は戦の軍資金を得るためにいくつかの隠し金山を所有していた。その中でも有名なのが「黒川金山」となる。実は、花魁淵の近くにはこの黒川金山跡があるのだ。

 

当時、黒川金山には多くの労働者がいた為、金山近くには労働者用の「遊郭」が作られた。当時55人の遊女が毎夜労働者の疲れを癒していたという。

 

ただ時代は流れて行くもので、武田家の武力も次第に衰え、ある大きな合戦で武田家は敗北してしまう。全ての財産が略奪される事を恐れた武田家は、隠し金山の存在だけでもどうにか隠そうとした。※特に、当時の採掘技術は重要機密だったという。

 

すぐさま金山は閉山したが、武田家は金山の情報漏れを危惧していた。そして目を付けられてしまったのが、労働者達と深いかかわりがあった55人の遊女達であった。そして結局口封じは実行された。

 

諸説あるが、その方法として用いられたのが、「橋の上に舞台を作り、その上で遊女たちに舞いを躍らせる」というものだった。そして、その最中に舞台を支えている紐を切った。遊女達は数十メートル下の渓谷に落下し亡くなったという。※生存している状態で何人かは下流で確認されたというが、役人からの指示で救出などは一切行われず、結局遊女55人全員が息を引き取ったという。

 

実は、この事件が起きたのが「花魁淵:現在の藤尾橋」とされている。これらの事から、現在の藤尾橋にはバリケードが張られ立ち入り禁止となっている。※劣化しているという事もあるが…。

 

ちなみに、なぜ本来の場所ではなく離れた所を「花魁淵」にしたかはわかっていない。ただ、現在の交通の面的に「供養」しやすいのでそこを花魁淵に指定したのではないかと言われている。実際、現在の花魁淵には上記の事件の慰霊碑が建てられている。

 

 

まとめ

いくつか禁足地をご紹介しましたが「空海」や「八咫鏡」の話にもあったように、見られてはマズイ物を隠すために立ち入りを禁止する場合が多くあります。理由は、やはり信仰や信じていた物が本当は違う物だったりする場合があるからです。

 

また、本当はそこには何も無い場合もあるかもしれません。そうなると信じる人にとっても大きな影響を与える訳です。実際、中には盗まれた仏像を「秘仏」扱いにして神社から外に出さない。なんて所もあるそうです。

 

なんにせよ、禁足地とされる場所にはロマンがありますね。特に神社や神聖な場所には「何かある感」が漂っているのでどこかワクワクします。ただし、ほとんどの場所がタブーの地になっているので、立ち入る際は祟りなどに十分注意してルールを守って訪れましょう。