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高知白バイ衝突事件から紐解く警察組織の裏側|報道されない「冤罪事件」の真相

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現在、警察の汚職や隠蔽が問題視されています。警察は社会的信頼度が高く、私たちの安全と安心を守るための重要な役割を果たしています。ですがその一方で、警察官による不正行為や権力の濫用、事件の隠蔽といった問題が報道されることが多々あります。つまり、警察は自らの身を守る為には事実を捻じ曲げる事も少なくないのです。

 

そこで今回は、過去に起きた警察による疑惑の事件「高知白バイ追突事故」をご紹介したいと思います。この事件は、警察が事実を無理やり捻じ曲げたのではと現在でも議論されています。

 

 

2006年3月3日、高知県高知市(当時は吾川郡春野町)で起きたこの白バイとバスの衝突事故は、案件としては小さな物かもしれません。しかし、あまりにも一方的すぎるこの事件に対する警察と裁判所の対応は「案件としては小さな案件」ではありますが、警察や裁判所の「闇」を垣間見る事ができます。それでは、さっそく見て行きましょう。

 

高知白バイ衝突事件の概要

※画像引用元はコチラ

 

2006年3月3日、仁淀川町立仁淀川中学校の3年生、22人は教師3人と共に卒業の前の「お別れ遠足会」を行っていました。生徒達はスクールバスでいくつかの観光地を巡り高知市春野町にあった国道沿いのレストランで遅い昼食を取りました。

 

そして午後2時30分頃、スクールバスは、そのレストランから国道56号へ右折で出ようとした所、ちょうどやって来た乗用車を待つために道路から一車線分乗り出して中央線手前で停止し、その車が通り過ぎるのを待っていました。道路はがらがらに空いており、その車が行けばすぐに出発できるはずでした。

 

ところが次の瞬間、スクールバスのボディ右横の前輪より前の部分に何かが突っ込んで来たのです。それは大きな音を立て、バスに強い衝撃を与えました。

 

驚いた生徒や教師が外を見ると、なんとそこには白バイが転がっており、白バイ隊員が倒れていたのです。すぐに警察に連絡が行き救急車も到着しました。ですが胸を強く打った白バイ隊員は重症(胸部大動脈破裂)で、急いで病院に運ばれましたが死亡してしまった。幸い乗客の中学生22人と教員3人にけがはなかったが、後にスクールバスを運転していた運転手(片岡晴彦さん)は業務上過失致死で逮捕されてしまいました。

 

捏造された証拠ともみ消された目撃証言

※画像引用元はコチラ

 

現場検証をした警察は、「スクールバスが安全確認をしないで道路に飛び出してきた事が原因だ」と主張しました。そして、「道路に残された急ブレーキの跡」がその証拠である、と言うのです。翌日、現場検証でパトカーに乗せられたまま、その細長く黒い跡を見せられた片岡さんは驚愕したと言います。事故後、そんな「ブレーキ痕」はなかったのです。

 

片岡さんは「自分はあくまで道路で止まって待っていただけであり、急に飛び出したりはしていない」と主張しましたが、警察は片岡さんの意見を聞きません。交通事故というのは何らかの過失が無い限り起こりません。つまり、バスか白バイのどちらかに過失が有る訳ですが、警察は「バスに過失が有る」と言うのです。

 

そして昨日まで無かった1m位の黒い跡が急ブレーキの証拠だ、と言うのです。しかし、この衝突には22人の生徒と3人の教師、更にレストランでの食事会には当該学校の校長も同席しており、計26人もの目撃者がいました。さらに校長は自分の車で来ており、レストランを出る時にはバスの後ろに付けていて、一部始終を見ていたのです。

 

「バスは止まって待っていただけだ。そこへ白バイが突っ込んできたんだ」と校長は裁判で見たままを証言しました。生徒と教師も同様の証言をしました。「バスは止まっていました。そこへ白バイが突っ込んできたんです」また、事故の前に衝突した白バイの後ろを走っていた軽トラックの運転手は「白バイが100キロ近い速度まで加速し、車間距離を広げていった」と証言しました。実は当時、この現場周辺で白バイの高速度走行訓練が行われていたという証言も取れているのです。

 

しかし一人だけ「バスはいきなり飛び出して来て、慌てて急ブレーキをかけたが間に合わずに白バイと衝突した」という目撃証言がありました。それは現場から80m先を反対側からレストラン方面に向かって走っていたという別の白バイ隊員の証言でした。

 

さらに、その白バイ隊員によるとバスはおよそ10km/h、白バイは60km/h位で走行していたとの事です。この60km/hというのがミソで、現場は制限速度60km/hなのです。つまり事故にあった白バイ隊員は速度違反もしていない、という事も証言したのです。事故の全目撃証言は27人で26人が「バスは止まっていた」と証言したが、白バイ隊員1人だけが「バスはいきなり飛び出して来た」と真っ向から対立する内容となったのです。

 

高知白バイ事件の判決内容

以上の内容から高知地裁一審の下した判断は次のような物でした。「第三者であるということだけで、その供述が信用できるわけではない」「常日頃から目視の訓練をやっている白バイ隊員の証言は信用性がある」つまり、スクールバス側に過失があると認定したのです。そして2008年8月20日、片岡さんに禁固1年4ヶ月の実刑判決が下されました。

 

すぐに高松高裁(高知県にある高等裁判所)に上告するも「審理は十分に尽くされている」として控訴棄却、最高裁に上告するも控訴棄却、遂に片岡さんは禁固1年4カ月の実刑が確定し収監されてしまいます。そして高知刑務所で数週間収容されたのち、同年11月から加古川刑務所(交通刑務所)に服役となりました。

 

一方、高知県警は死んだ白バイ隊員を「殉職」とし、二階級特進としました。

 

収監されてしまった片岡さんは加古川交通刑務所で1年4ヶ月の刑期を過ごし既に出所していますが、通常、身元引受人が入れば刑期途中でも仮釈放が認められる事が多いが、なぜか片岡さんには認められず、1年4ヶ月の満期出所となりました。

 

その後の状況と再審支援運動

裁判で検察側が出してきた物的証拠は現場写真ですが、問題のスリップ痕について交通事故事案鑑定人の石川和夫から「タイヤにはどの車種にも必ず溝がある。溝が無いタイヤ跡などありえない。誰かが何かの目的で、そこに描いたと考えざるを得ない」と主張がありました。さらにフィルム鑑定の権威である千葉大学名誉教授の三宅洋一氏に依頼した鑑定結果では、この跡はスリップ痕ではなく絵であり、何らかの液体で描いたものであると鑑定書で断言されているとの事です。またネガの中には合成写真もあった、という話もあります。

 

片岡さんはこういった証拠品の問題点を揃え再審請求を何度もかけていますが、これまで全て棄却されています。(地裁で唯一「バスが飛び出して来た」と証言した白バイ隊員を偽証罪で告発する等の活動も現在続いている)

 

 

高知検察審査会が「証拠の捏造に対する起訴」が却下されたことに対し「不起訴不当」と議決し、それに対し検察側は再度、不起訴としており検察側、裁判所側とも、この事件については完全に門を閉じてしまっていますが、片岡さんと支援者の方々は再審活動を続けており一部地元のマスコミ関係者などもこの事件をまだ追っていると言います。この再審支援運動の輪は広がりを見せており、隣県である愛媛県で起きた冤罪が指摘されている事件の関係者なども参加しているという。

 

高知白バイ事件の内部告発と真相

以上が、この事件の外側から見た記述です。22人の生徒さん達は今でも「あの時、バスは止まっていた」と言っています。これだけで、事実は明白であり、片岡さんは無実である可能性が極めて高いです。無実の罪に問われて刑務所に入れられるなど法治国家として許されるべき事ではありません。しかし、それとは別の角度から見てみると「別の被害者」が見えてきます。

 

それは26歳という若さで死んでしまった白バイ隊員です。ご遺族の無念さはいかほどだったでしょう。そして、なぜ彼が緊急事態でもないのに、国道56号という一般国道で、多分100km/h近いと思われるスピードで走っていたのでしょうか。そして反対側の車線80mという至近距離になぜ「もう一台の白バイ」がいたのでしょうか。これについて以下のような解説をする内部告発がありました。少し前述しましたが、

 

「当時、パトカーや白バイの事故が多発し警察庁から各都道府県警察に交通隊の指導訓練、特に高速訓練を徹底するよう指示が有ったらしい。管轄内に高速道路が有る所は良いが、無い所は一般道路で高速訓練をせざるを得ない。そもそも高速訓練とはスピード違反の車両を捕まえるのだから法令速度を超える速度を出すのが前提の訓練。だから、やむなくサイレンを鳴らしながら行ったりするが一般道では、それもはばかられる事が多い。だから形だけやって報告して済ませる事も多いのだが、中には『真面目に』やってしまう所もあるようだ。もしかすると、その一環としてやっていた訓練の最中の事故だったんじゃないか?それなら付近に白バイが複数台いてもおかしくない」

 

つまり、被害にあった白バイ隊員は「上司の命令」によって国道56号を時速100km/h近い速度で「走らされた」のではないか、という訳です。そして国家公務員法や地方公務員法では「飲酒運転、交通事故、交通違反」を起こすと懲戒免職です。つまり、この事案で、もし片岡さんに過失が無いとなると白バイ隊員の過失となり、彼は死亡して、なお懲戒免職になってしまうのです。

 

懲戒免職と二階級特進では扱いが天と地ほども違います。残されたご遺族の気持ちを考えれば、とても懲戒免職になど出来るハズがありません。逆に「出来る限りの事をしてあげたい」と思うのが当然だと思います。もしかすると、そういった事がこの事件の真相なのかもしれません。そしてこの事件によって警察組織が持つ「裏」が露呈する事になったのだと感じます。

 

まとめ

冤罪とは、無実の人が犯罪者として告発・裁判され、刑罰を受けることを指します。この事件が冤罪と決まった訳ではないが、確かに警察組織に関わらず、この事件では裁判所やマスメディアまでもが地位を守るために隠蔽に加担しているのが垣間見える。実際、マスメディアに関しては地元の大手テレビ局や新聞社はこの事件について報道しておらず、なぜか事件が起こった地元よりも、他県での方が事件の知名度が高いという現象が見られる。

 

つまり、警察組織と裁判所やマスメディアは横の繋がりがあり、互いに互恵関係にあるという事だろう。現在では、マスメディアは信用できないと言われる事が多いが、確かにこの事件を引き合いに出すとそう思わざるを得ない。

 

とは言っても、裁判で判断された訳ではないのでやはりこの事件が冤罪と決まった訳ではない。様々な証拠を元に裁判所は判断した訳だが、その中には確かに被告人を疑いたくなるような証拠もあったのも事実だ。実際、事故の約半年前に被告人は一時停止違反で検挙されており、いくつかの違反歴もあった。なんにせよ、この事件の真相が解明される事によって今の警察組織や日本社会の現状もわかってくるだろう。