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ディアトロフ峠事件の考察まとめ|不可解な未解決事件の真相と謎の男の正体

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1959年、ロシアのトレッキングチームが通称「死に山」と呼ばれるウラル山脈で遭難した。現場に向かった捜索隊は彼らのテントを確認しますが、深い雪に阻まれて捜査は非常に難航しました。全員を発見するまでに数ヵ月を要し、結局全員遺体で発見された。

 

一見よくある遭難事故に思えますが、なぜかこの出来事は「事故」ではなく未解決事件として扱われている。ではなぜ事故ではなく事件としてこの出来事が注目されているのか?

 

 

実はこの事故には多くの謎が存在しています。未だ真相解明に至らず多くの人がこの事故を「事件」と捉えているのです。そんな事からこの事件は「ディアトロフ峠事件」と呼ばれ、一時的に世間を騒がせ続けています。このジャンルが好きな方達はよくご存知だと思いますが、今回は改めてこの事件の謎に迫っていこうと思います。それでは、新たな見解なども交えつつ、さっそく見て行きましょう。

 

ディアトロフ峠事件の概要

※画像引用元はコチラ

 

1959年1月23日、ロシアのウラル工科大学の学生と卒業生からなる男女9名と元軍人の指導員1名が、ロシアにあるウラル山脈のホラート・シャフイル山(通称「死に山」)へ冬山登山に向かいました。途中で、男子大学生1名が体調不良のため引き返しましたが、リーダーの「イーゴリ・ディアトロフ」が率いる他のメンバーはそのまま登山を続行しました。

 

その後、2週間の行程でしたが、彼らは下山予定を過ぎても帰って来ず、心配した家族達が捜索願いを出しました。

 

数週間後、現場に向かった捜索隊はホラート・シャフイル山の斜面で彼らの引き裂かれたテントを確認しますが、深い雪に阻まれてその後の捜査は非常に難航しました。翌日に初めて遺体を発見したのですが、メンバーの遺体が一ヶ所にまとまっていなかったため全員を発見するまでに数ヵ月を要したのです。

 

一見よくある遭難に思えますが、なぜこれが事故ではなく、未解決事件として扱われているのでしょうか。それには、次のように奇妙な点がいくつもあったからです。

 

・テントが内側から切り裂かれていた。

・全員分の登山靴と荷物がテントの中に整理されて残っていた。

・極寒の冬山であるにも関わらず、薄着状態のご遺体があった。

・骨折などの激しい外傷を受けていたり、眼球や舌が無いご遺体があった。

・頭蓋骨や胸部を激しく骨折しているご遺体があった。

・火傷の跡や一部の衣服からは高レベルの放射能が検出された。

 

など、状況を見ると彼ら全員は靴も履かずに荷物を置いて、ほぼ手ぶら状態でテントから外に出てしまった事がわかります。また冬山で遭難中なのに、「なぜ服を脱いだのか」という疑問が生まれます。更に、内側からテントが切り裂かれてメンバー達がバラバラに離れてしまった事や、ご遺体の損傷状況からは様々な憶測が生まれました。

 

中には「メンバー間で殺し合いがあった」「何者かに襲われ、眼球や舌を持ち去られた」のではないか、など様々な憶測がささやかれました。

 

当のロシア捜査機関は、彼らの死因を「未知の自然的な力」による事故とし、それ以降、この事件に関する情報についてロシアは詳細が不明なまま固く口を閉ざした。ロシアからハッキリとした調査結果が出ないため「国家ぐるみの陰謀だ」という説すらあるのです。

 

その後も秘密主義のロシアで起きたという事と、事件の凄惨が話題となり、現在に至るまで世界中で様々な考察や陰謀論が巻き起こった。そしてこの事件は、リーダーのイーゴリ・ディアトロフさんの名前にちなんで「ディアトロフ峠事件」と呼称されるようになった。

 

ディアトロフ峠事件の考察

このように、多くの矛盾や疑問があるため「事故なのか事件なのか」という議論がこれまで続いてきました。ネットで「ディアトロフ峠事件」と検索すると、どの記事からも情報を得る事が出来ますが、どれも真相には至っていません。

 

更に興味を持った私は一冊の本を購入しました。著書のタイトルは「死に山」。著者はドニー・アイカーさんという米国人の記者で、2018年に出版されています。

 

 

著者は、体調不良で冬山から引き返した唯一の生存者である元メンバーの「ユーリ・ユーディン(取材当時70代)」に直接話を聞いたり、ガイドさんと共に、冬季の死に山を実際に登ってメンバー達がテントを張った現場などを取材している為、ネットの記事とはまた違ったリアルな持論を展開しています。

 

今回、私がこの本を読んで新たに知った情報を皆さんにご紹介しながら「ディアトロフさん達に一体何が起きたのか」を、改めて考察していきたいと思います。

 

なぜ「死に山」に挑戦したのか?

※画像引用元はコチラ

 

亡くなったのは、男子大学生6名。女子大学生2名。そして、登山のエキスパートの指導員男性1名です。殆んどが大学生とは言え、彼らはかなりの場数を踏んだ登山のプロ集団でした。彼らは大学内でも有名な存在で、かなり注目を集めていたそうです。実は彼らにとって、極寒の季節に難易度の高い「死に山」の登頂を成功させる事は非常に重要だったと言います。

 

ロシアには「トレッキングマスター」という職業があり、彼らにとって憧れの存在だったのです。そして、冬の死に山を制覇する事でメンバー達は「トレッキング第3級」の資格を獲得できる予定だったのです。これは彼らにとって大きな実績になり、憧れの職業に一歩近づける最高のチャンスだったのです。

 

しかし、「難度の高い冬山制覇」なので、挑戦できる期間が限定的だったため、彼らは絶対に登頂を成功させたいと意気込んでいました。それを裏付けるかのように、彼らは登山中も写真を撮影し日記を書くなど、積極的に登山記録を残しています。※これは登頂に成功した暁にはどれ位の期間でまたどのルートで登ったのかという証明になるからです。

 

現場の状況と遺体の状況について

※画像引用元はコチラ

 

実際に現場を見てきた著者は「山には急斜面がいくつも存在していた」と書いています。もし、急斜面で足元のバランスが崩れた場合、かなりの距離を滑落する事になります。滑落の最中に、例えば途中で木や岩にぶつかると、必然的に打撲や骨折をすると思われます。

 

また、遺体の周りの雪が溶けて水になった場合は水中の微生物によって眼球や舌などの柔らかい組織が分解されるので、自然に消滅しても不思議ではありません。さらには小動物に食い荒らされる可能性もあるという。

 

そして、極寒の冬山で薄着だった理由としては「低体温症」が考えられます。人は急激に体温が下がると、何とか体の機能を保とうとして「本当は寒いのに暑く感じる」という現象が起きる事があるので、自ら服を脱いでしまうのは珍しくないのです。

 

※アメリカで起きた未解決事件でも低体温症について触れております。詳しくはコチラの記事⇒【アメリカで起きた未解決事件「エリサ・ラム事件」について】をご覧ください。

 

そして、よく調べると全員が着衣を脱いでいるのではなく他のメンバーの服を着ている遺体もあったそうです。もしかしたら、弱ったメンバーを救おうと、自分の服を分け与えた人がいたのではないかと著者は考えます。そう考えると、暖を取ろうとしたメンバーが火を起こし、その際に火傷を負ったとも考えられるのです。

 

ディアトロフ峠事件が起きたきっかけ

事件が起きた原因の有力候補としては「雪崩説」が最も有名です。実際、2019年にはロシアが再調査を行い調査結果を発表した。結果、9人は雪崩によって命を奪われた「事故」と判断された。

 

ただ、ここで一つの疑問が生じます。雪崩でテントが埋まり脱出できた場合、皆で力を合わせてテントを掘り返して食料や荷物を回収したり、同じ方向に進んで下山を試みると思います。ですが、ご遺体の発見場所はバラバラで、中にはテントから1キロ半も離れた場所で発見されたメンバーもいたのです。山の中で仲間と離れるのがどれだけ危険な行為なのか、山のプロなら知っているはず…。

 

これは、何か突発的な事でメンバーが散り散りになってしまったという最悪な状況を意味しています。また、何よりも現場を見た筆者は「テントが設営された場所は傾斜がゆるく見通しが良い場所なので、雪崩が起きる確率は少ないのではないか」と判断しています。そもそも死に山では雪崩が起きた記録が全く存在せず、アメリカの雪崩研究家の所長も「この地形で雪崩は発生しない」と断言している。

 

そこで、著者は「何らかのパニック的状況が発生したのではないか」と考えました。死に山の現場に行った著者は、山の地形に注目しています。

 

死に山の頂きは丸い形をしており、まるで左右対称のドーム形をしていました。そのような地形では小さな竜巻が起こりやすく、また低周波が発生しやすいのだそうです。そして、風の音と低周波が加わると、耳をつんざくような轟音が発生する事が分かりました。

 

 

筆者は現地取材の際に、現地の人から「あの山脈では、つむじ風が起きる事がある。すると、獣の声や人の苦悶の絶叫のような音がするので、初めて聞いたら非常に恐怖を感じると思う。もし、あの音を彼らが聞いたのだとしたら、パニックになっても不思議ではない」という証言を得ています。

 

つまり、特殊な山の形が引き起こす自然現象によってメンバー達がパニックを起こし、半ば発狂状態でテントを飛び出してしまったのではないか、という結論を著者は導きだしました。そして勢い余って滑落、そしてそれぞれが遭難してしまった…。

 

高濃度の放射能と謎の男の関係性

※画像引用元はコチラ(捜査資料から除外された写真)

 

このように、この事件の不可解な点はほとんど仮説を立てられることができるが、高濃度の放射能の問題については今もなお最も謎が残る。ある仮説では、登山前から元々洋服には放射能が付着していたという仮説が存在しているが、高濃度となるとそうもいかない。

 

また、放射能の一部は指導員となる男の服から検出されたのだが、実は、この指導員の詳細や学生達との繋がりについてもあまりわかっていない。男の歳は30代後半と言われているが、何故このトレッキングチームと行動を共にしていたのかは不明。さらに言うと、この男を調べると軍事工学を学んでいた元軍人である事がわかった。さらにこの男はなぜか一台のカメラを隠し持っていた為、何らかの工作員説も浮上した。

 

この男の目的はなんだったのか?なにを撮影していたのか?

 

※画像引用元はコチラ(捜査資料から除外された写真)

 

今となっては全くの謎だが、実は、事件後の捜査資料から除外された写真の中に不可解な物が写されていた。実際にこの男が撮影した物かは不明だが、もしかすると、この写真に事件の真相と男の本当の目的が示されているのかもしれない。上記写真。

 

まとめ

パニックを起こして飛び出してしまったメンバー達を待ち受けていたのは、夜の闇に包まれた極寒の冬山…という最悪の環境だったと思われます。暗闇の中で方向が分からなくなり、テントに戻れなくなった人。逃げている途中で怪我をしてしまった人。急いでテントを飛び出してしまったため靴が無く、足から凍傷になって動けなくなってしまった人。そんな最悪の状況下で、それぞれのメンバーが何とか生き延びようと数時間または数日間を過ごしたのだと思うと、改めて胸が痛む「事故」だと感じました。

 

もちろん実際に何が起きたのかは私達では知る術はありません。ただ、実際に現地に行って、その場所の空気を感じ取ってきた著者の言葉には説得力があると感じました。

 

とは言っても、ロシアが発表した「雪崩説」の調査報告には明確な説明や科学的な根拠は記載されていなかった。これはこれまでの陰謀論や突飛な仮説が広まったことを受けての事だろう。実際、この記事のように詮索され続ける事はロシアにとってもいい気分ではないのだろう。そう考えると、ロシアにも本当に隠したい事があるのかもしれない…実際、この事件の不可解な点はほとんど仮説を立てられることができるが、高濃度の放射能の問題についてや謎の指導員の男の正体については今もなお謎が残る…