赤ノ録

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浦島太郎が行き着いた「竜宮城」の正体|竜宮城伝説のモデルとなった場所

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失われた大陸と言えば「アトランティス大陸」だが、日本にもそんな失われた大陸が存在していたかもしれない。それが、浦島太郎に登場するあの「竜宮城」だ。

 

竜宮城はこれまでおとぎ話と考えられてきたが、実は日本には竜宮所の跡らしき物がいくつか確認されている。さらに、竜宮城の入り口に関して言えば、全国各所にそういった伝承が数多く存在する。これらの事を踏まえて、竜宮城は本当にフィクションなのだろうか?

 

 

今回は、そんな浦島太郎伝説と竜宮城についてご紹介致します。

 

浦島太郎は実在していた

誰もが知っている「浦島太郎」は、7世紀頃に書かれた日本書紀や丹後国風土記(丹後=京都府北部)に記されている物語が元になっている。

 

これを鎌倉時代末から江戸時代辺りに御伽草子(おとぎぞうし)が民話化して「今の浦島太郎物語」がある。※元々は「浦島太郎」という人物は登場せず、水江浦嶋子(みずのえのうらしまこ)という名前になっている。(以下、浦島太郎とする)

 

浦島太郎は架空の人物だと思われているが、このように様々な歴史書に浦島太郎が実在したという記録が残っている。また、昔から日本国内には「浦島太郎ゆかりの地」が多く存在する事から、現在では浦島太郎という人物は本当に実在したと考えられている。

 

 

浦島太郎に登場する竜宮城は存在する

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※画像引用元はコチラ

 

竜宮城という言葉も日本書紀や丹後国風土記には登場せず、元は竜宮城ではなく「蓬莱山」と書かれている。蓬莱山は普通に読むと「ほうらいさん」だが、日本書紀では蓬莱山を「とこよのくに」と読ませている。

 

ここでいう「とこよのくに」とは、古代人の考えていた不変の国や不老不死の国と解釈される「理想郷」である。この事から「とこよのくに」は「あの世」と考える説もあるが、古代には「とこよのくに」という場所が海のかなたにあると考えられていた。※古事記にも「常世の国(とこよのくに)」は登場する。

 

さらに、古代人は「とこよのくに」と現世との間には往来の道が開けていると信じていたという。つまり、竜宮城(とこよのくに)が本当にあったと信じていた事になる。(以下、竜宮城とする)

 

浦島太郎のあらすじは中国の実話だった

実は、浦島太郎伝説が誕生する以前(5世紀以前)に、中国には既に「浦島太郎伝説にそっくりな伝説」が存在していた。そのため、この中国の伝説が日本に伝わり、少し内容を変更して語り継がれたのが「浦島太郎」なのではないかと言われる事がある。

 

ただ、浦島太郎のような物語構成の伝説や作品は世界中に存在するため、浦島太郎が「中国の伝説を真似て作った作品」とは言い切れない。それに、これだけ日本各地に「浦島太郎ゆかりの地」が存在する理由も腑に落ちない。

 

また、紀元前3世紀頃に中国から「三神山」という伝説の山を探しに「徐福(じょふく)」という人物が日本に訪れている。※徐福については【不老不死の霊薬を求めた者達】の記事をご覧ください。

 

なんとこの徐福が探していた三神山の中の一つが「蓬莱山」だと言われている。※蓬莱(ほうらい) 、方丈、瀛州(えいしゅう) の三つの山。しかも、この徐福という人物は「不老不死の薬」を求めに日本に訪れている。

 

さらに、古代中国においてこの三神山は中国の「海上に浮ぶ島」と伝えられている。まさに「とこよのくに」の共通点に一致するのだ。

 

つまり、古代中国の伝説上の山々は実は日本の「竜宮城」だったのではないだろうか。日本の浦島太郎がいつの時代の物語なのかわからない以上真相は不明だが、この古代中国の伝説は日本の「浦島太郎」が元になっている可能性もあるという事になる。

 

昔話ではない「竜宮城伝説」のモデルとなった場所

では、これらの話が事実だとしたら「竜宮城」は日本のどこにあったのか?竜宮城は「海上の島」であったと記されている事から、竜宮城があったのは当時未知の「琉球諸島」だったのではないか考えられる場合が多い。

 

実際、琉球諸島には、海の彼方もしくは海底に「ニライカナイ」という異郷の浄土(本土で言う常世の国)があるという伝承が昔から存在していた。※ここから浦島伝説が生まれたと言う説もあり。また、1995年には与那国島近海で謎の海底遺跡も発見されている。

 

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※沖縄の海底遺跡の一部

 

グラハム・ハンコックという作家によると、この与那国海底遺跡は、約1万年以上前に存在した古代文明のものだという。全体像はどうなっているかは不明だが、確かに「宮殿」のようにも見えなくはない。

 

これがもし本当に古代文明の遺跡で未知の文明だとしたら、琉球諸島に伝わる「ニライカナイ」は本当に存在していたのかもしれない。そして、それが竜宮城だったという可能性も否定はできない。

 

竜宮城は沖縄ではなく青森だった

ただ、浦島太郎が住んでいたのは京都の丹後になる(確証はないが、最も有力な場所)京都から沖縄はあまりにも遠すぎないだろうか。それに、この与那国島近海の海底遺跡は「自然の造形」だという見解が圧倒的なため、遺跡として認定されていない。

 

さらに言うと、海底遺跡を調査したこのグラハム・ハンコックという人物も疑わしい。ウィキペディアによると、このグラハム・ハンコックという人物、本を売るためなら事実の歪曲やありもしない事実を捏造するらしい。では、沖縄ではないとしたら竜宮城はどこにあるのか?

 

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※画像引用元はコチラ

 

日本書紀の浦島太郎の伝説では、浦島太郎は「夏に船を10日あまり漕いだ先」で竜宮城を見つけている。

 

京都から夏に潮に乗って船を10日あまり漕ぐと、青森県の日本海側辺りに到着する事がわかっている。実は、驚くことにこの青森県の日本海側にも「海底遺跡」が存在するのだ。

 

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※画像はイメージになります

 

この青森県の海底遺跡では石垣や壺などが発見されている事から、かつては陸地だったのではないかと考えられている。また、この海底遺跡について書かれた古文書も存在している。それが、「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」という古文書。

 

東日流外三郡誌に記された竜宮城伝説

東日流外三郡誌には、古代の東北地方(青森県・岩手県・秋田県を含む)の歴史が記されている。東日流外三郡誌曰く、超古代の東北地方には「アラハバキ」という王国が存在していたという。

 

そして、当時の青森県の西側辺りには「福島城」というお城があったとも記されている。※この王国は津波によって一夜で滅んでしまった。

 

この話が事実であれば、もしかすると青森県のこの謎の海底遺跡は「福島城」の残骸なのかもしれない。そして、竜宮城はこの「福島城」の事を指していたのかもしれない。

 

※ただ、この東日流外三郡誌は偽書とされている。もちろん、アラハバキ王国という王国が存在していたという事実も証明されていない。また、王国があったとされる時代に青森県辺りに大きな津波が起きたという事実も今の所確認されてはいないという。ただし、青森県には「亀」という地名の場所がなぜか多く存在している。 

 

まとめ

竜宮城が海中にあるという話も、この「沈んだ事」からきている「創作」だと考えれば辻褄が合ってくる。また、玉手箱も創作だとしたら「お爺さんになった」という表現は、古代の言い伝えから「だいぶ時が経った事」を現しているとも考えられる。

 

ただもし浦島太郎の話が全て事実だとしたら、本当に歳を取らなくなる薬や、逆に歳を取る薬などが古代には本当にあったのかもしれません。実際、中国の徐福は「不老不死の霊薬」を求めに日本にやってきているわけですから。

 

今回はより現実的に浦島太郎に迫ってみましたが、浦島太郎には謎が多い事から今では様々な憶測が飛び駆っています。浦島太郎が乗ったのはカメではなくタイムマシン説。カメという女の復讐劇だったなどという説まで存在します。また、裏には宗教的な意味が隠されている。なんて話もあるくらいです。なんにせよ、浦島太郎の伝説には何か大きなものが隠されていそうです。※次は都市伝説の観点から記事にまとめたいと思います。