治安がいいと言われる日本でも誘拐事件や残虐な殺人事件が数多く起っていますが、こういった事件は日本に限ったことではなく、もちろん世界中で起きています。これらの事件は社会に深い影響を与え、世界中の人々に強烈な印象を与えています。
ただこういった未解決事件や凶悪事件について学ぶ事は、その事件が起こった時代や文化、影響について考える良い機会でもあります。また、事件の背後にある原因や動機を探ることで、こういった事件を社会から減らす事も可能かもしれません。
- シンガポール:四兄弟皆殺し事件
- オーストラリア:タマム・シュッド事件
- ドイツ:ヒンターカイフェック事件
- ブラジル:パトリス公園の殺人事件
- バチカン:オルランディ失踪事件
- アメリカ:ゾディアック事件
- アメリカ:史上最悪の殺人事件
- 日本:神戸連続児童殺傷事件
そこで今回は、そんな世界で起きた残虐な事件&最も謎が残る未解決事件を8選ご紹介したいと思います。事件の詳細や背後にある動機、事件が社会に与える影響や被害者の立場についても探求することができますので是非ご覧ください。それではさっそく見て行きましょう。
シンガポール:四兄弟皆殺し事件
※画像引用元はコチラ
1979年1月、シンガポールにあるゲイラン・バルという地区で事件が起こりました。ゲイラン・バルの公共住宅に暮らしていた夫妻の4人の子供が無残な姿で殺害された。夫妻の子供は10歳、8歳、6歳の男の子と5歳の女の子。
子供たちの両親は通学バスを運営していたため、朝が早く、6時30分過ぎには家を出ていました。両親は朝が早い為、いつも出勤する頃子供達はまだ眠っていました。朝7時には母親が子供たちを起こすために家に電話をかけるのですが、その日はすぐに電話に出るはずの子供たちが何度掛けても出てくれません。
不審に思った母親は隣人に電話をかけ、様子を見てもらえないかとお願いをしたという。そして、頼まれた隣人はすぐに隣に行き、インターホンを鳴らしたのですが応答がなかった。結局、仕事が終わってから両親が確認する事になったのですが、そこで4人の子供たちの姿を見て驚愕するのです。
子供たちはみんな浴室におり、重なった状態で血まみれの状態で発見された。全員頭部をめった刺しにされ、5歳の娘の顔にはとても深い傷がつけられていた。また、長男は兄弟を助けようとしたた為か右腕が切り落とされていたという。4人の子供たちはそれぞれ20箇所以上も切り付けられていたという。
金目のものを物色した形跡もないことからこの家族に強い恨みがある人物の犯行であると推測されました。すぐに警察の捜査が開始されましたが、なかなか手がかりは見付からないまま2週間が経った。そんな時、なんと子供を殺害されて失意のどん底にいる両親に対して犯人と思われる人物から年賀状が届いたのです。そこには、
「これで子孫はもてないね。ハハハハ」と書かれたいのです。
実はこの家の母親は、最後の娘が生まれたことをきっかけに、避妊手術を行なっていたのです。そのことを知っている人物は限られていた為、犯人逮捕は安易だと思われました。だが、警察をあざ笑うかのように犯人特定は難航し、とうとう未解決のまま捜査は終わってしまいました。
シンガポールは日本のように比較的犯罪が少ない地域であることから、今もなおシンガポールの人々に語り継がれている未解決事件となっています。※ちなみに、犯人は野放しになっているものの、4人の子供を失った母親はもう一度手術を受けて妊娠することが可能になり事件から4年後に男の子を出産しています。
オーストラリア:タマム・シュッド事件
※画像引用元はコチラ:ソマートン・マンの埋葬の様子
タマム・シュッド事件は、1948年12月1日、オーストラリアの南オーストラリア州のグレネルグのソマートン公園の海岸で起こった未解決事件です。この事件はかなりの謎が多く、不可解な痕跡がいくつも残されていました。事件の謎や不可解な点は多くの人々を魅了し、事件の真相を解明しようとする調査や研究は今なお行われています。中には暗号めいた痕跡がある事から、これを解読するために現役の数学者や暗号解読の専門家までもが興味を示しています。
ではさっそく事件の詳細を見て行きましょう。タマム・シュッド事件は、1948年12月1日、オーストラリアの南オーストラリア州にあるソマートン公園の海岸で、身元不明の一人の男性がビーチに倒れているのが発見された事から始まります。
遺体は海岸の砂浜の上に横たわっていたのだが、その姿はまるで昼寝でもしているかのような姿だったという。警察が検分したところ、状態はあおむけで、耳にはタバコが挟まれ、両脚は伸びていたが足先は組まれている状態だったという。目撃者によると、前日の夕方からこの男性はこの姿で横になっていたらしく、時折あくびのようなしぐさや姿勢を変えていた事が確認されている。後日遺体となって発見されたが、死亡確認がされるまでは誰もこの男性が亡くなっていると想像できなかったという。
死亡したのは12月1日の深夜で眠っている間であると考えられたが、明確な死因は不明とされた。警察がポケットを探ったところ、ガムやタバコ、列車の車券、マッチ箱などが見つかったが、身元が判明する物は一切持っていなかった。数日後、スーツケースなども発見されるがやはり身元の特定に繋がる物は発見されていない。そんな事から、警察はソマートン公園に因んで、この男性を「ソマートン・マン」と呼称した。
またこの男性のズボンには隠しポケットが付けられていた。そこにはペルシア語で「終わった」や「済んだ」という意味を表す「Tamám Shud」(タマム・シュッド)という語句が記された本の切れ端が入っていた。後にこの紙切れが事件の謎に大きく関わってくるのだが、その事からこの事件が「タマム・シュッド事件」として呼ばれるようになる。
警察は男性の身元調査に乗り出し情報提供も募集したが、結局この男性が何者なのかは分からなかった。唯一わかったのが、イギリス人的な容貌であり、年齢は大体40~45歳、持ち物はほとんどがアメリカ製の物である事だった。つまり、この男性の痕跡を追うには、持ち物、もしくは「タマム・シュッドと書かれた本の切れ端」だけとなった。
直ぐにこの「タマム・シュッドと書かれた本の切れ端」の調査が行われ、この切れ端が11世紀に書かれたペルシアの詩集『ルバイヤート』の最後の頁を破り取ったものであることが判明した。すると直ぐに匿名の人物から警察に連絡があり、ソマートン公園の近くの違法駐車車両で『ルバイヤート』を見たと連絡があった。
警察が確認すると確かに車には詩集があり、最後の頁が破り取られていた。男性が持っていた切れ端はこの詩集の物で間違いはなかったのだ。ただここでこの事件最大のミステリーが新たに生まれる。この詩集の裏表紙に謎の「暗号文」が書かれていたのだ。以下、実際の画像。
※画像引用元はコチラ:詩集に書かれた謎の暗号文
この暗号文が話題を呼び、世界のマニア達が取り上げた。当時はこれを解読するために現役の数学者や暗号解読の専門家、占星術師までもが興味を示し解読に乗り出したのだ。文字列から暗号であることは確かなのだが、ただ、誰一人この文章が何を意味するのかさえ分からなかった。これまでにいくつかの仮説は存在するが、どれも根拠に乏しく真相には辿りつけていない。中にはこの暗号文は諜報員が使うものだと指摘し、男性がスパイだと明言する者もいるが、そもそもこの暗号文についてわかっていない。
また実はこの暗号文の他にも、詩集には電話番号が書かれていた。この電話番号は近くに住む元看護師の女性のものであったが、女性はこの男性については一切何も知らず、なぜ彼女の住む町にやって来たのか、なぜ電話番号を知っていたのかすらも分からないと述べている。この番号が暗号文になにかしらの関係があるのかもしれないが、公開はされておらず、やはりこれについても解読できていない。
結局、この男性の物とされる車両からも特定に繋がる痕跡は発見されず、1949年6月、遺体は南オーストラリア州のアデレードのウェスト・テラス墓地に「ソマートン・マン」として埋葬された。
これらの事から、この事件は歴史上有名な未解決事件の1つとして世界中で知られており、オーストラリア史上最大の謎だと囁かれています。この謎めいた雰囲気や不可解な暗号文には、多くの人々が興味を持ち、事件の真相を解き明かそうとする動きが現在でも続いているようです。
ドイツ:ヒンターカイフェック事件
※事件現場となった農場
1922年4月、ドイツのヒンターカイフェックの牧場で残虐な事件が起こりました。無残な姿で見付かったのはこの農場経営者の夫妻、娘、孫、使用人だった。つるはしで殺されたと見られる遺体が発見されたのは4月4日だが、死後数日経過していた為、正確な死亡時刻などは不明とされている。
農場経営者の夫妻は事件が起こる前、近隣の住民に屋根裏部屋から足音がするなどと話していたようだが、警察に届けることを頑なに拒んでいたということが分かっています。また、被害者である35歳の娘はケチで有名だったのですが、なぜか事件の数日前に教会の懺悔室に訪れ、多額のお金を寄付していたという。
また、実はこの現場となった農場にも黒い噂があった。「農場に何がとり憑いている」などと言って半年前に前使用人が辞めているのです。実は、被害者となった使用人は新人で、事件の当日が仕事のスタート日だったという。
すぐに調査が始まり、まずは足音がしていると言っていた屋根裏部屋の調査が始まりました。すると、足音を消す為に敷かれたと思われる藁が見つかった。他にも人が寝ていた形跡、覗く為にずらされていた瓦など、屋根裏部屋に犯人に繋がる形跡がいくつも発見されたのです。
さらに、一家が殺害された後も農場で飼育されていた牛などにはえさが与えられた形跡があり、キッチンには食料を食べた形跡もありました。また、周辺の住民からは既に殺害されていると思われる期間に農場の煙突から煙が出ているのも目撃されています。この事から、犯行が行なわれた後も犯人は長時間この家に留まっていたと推測されました。
その後も警察は多額の懸賞金をかけて有力な情報を集めようとしたが、その後の手がかりは発見されなかった。警察は霊媒師にまで調査依頼を行い、遺体の頭部を切断して霊媒師に送ったという。※真偽の程は定かではないが、その後頭部は紛失したと言われている。
多額の寄付を行なった娘が事件に関わる事を知っているのではないかといわれているものの、神父の証言は当時の警察の記録に残されていなかった。この事件は1955年に一旦調査が打ち切られたものの、1986年にもう一度関係していると思われる人に対して事情聴取が行なわれています。ただ、結局何の手がかりも見付からず捜査は終了となった。しかし、さまざまな謎を残したこの奇妙な事件を解決しようと、秘かに真相解明のために研究や調査を続けている人は現在も少なくないという。
ブラジル:パトリス公園の殺人事件
※画像はイメージ(アメリカで起きたゲイ殺人事件の現場)
ブラジル、サンパウロ州カラピクイバという地域にある、パトリス公園で、2007年から2008年にかけて、男性ばかりが13人殺害される事件が起こりました。被害者は20代から40代の男性に集中していた。13人の内9人が半裸の状態で腕を縛られており、後頭部を銃で撃ち抜かれて死亡していた。中には12箇所も銃弾の跡が残されている遺体も発見されている。
このパトリス公園はゲイの密会場所として有名だった。また、被害者のほとんどがゲイだった事もあり、犯人は「The Rainbow Maniac」と名付けられていた。事件の名前は公園の名前を取って「パトリス公園の殺人事件」と名付けられた。※レインボーというのはゲイを象徴するカラーのこと。
その為、犯人はゲイをターゲットにしているのは明らかだった。この事件はブラジル人に人気のSNSを利用してゲイをおびき寄せて殺害したと考えられているが、捜査は難航し現在も未解決事件となっている。ちなみに、2008年12月に退役軍人で警察官であるジャイロ・フランコという人物が逮捕されたが、証拠不十分で無罪となっている。
バチカン:オルランディ失踪事件
※15歳:エマヌエラ・オルランディ
オルランディ失踪事件は、イタリアにあるバチカン市国内で発生した未解決事件のひとつです。この事件には様々な陰謀が付きまとい、その闇深さからイタリア最大の未解決事件とまで言われるほどです。バチカンはイタリア国内にありますが、イタリアとは異なる国家でありキリスト教の総本山になります。
宗教と深い関わりがあるバチカン内部の情報は非常に秘匿性が高い事から、バチカンの金銭的な腐敗や不正、権力争いがこの事件に関係しているのではないかと言われています。※ちなみに、宗教の歴史についてはコチラ⇒【三大一神教の歴史まとめ】の記事をご覧ください。
1983年6月22日、バチカン市国内で15歳のエマヌエラ・オルランディという少女が失踪した。彼女はフルートのレッスン帰りに行方不明となるのだが、その後の目撃情報から、帰り道彼女がグリーンのBMWに乗り込む様子が確認されたという。そんな事から、警察は友人と一緒にいるのかもしれないと考え、翌日まで待ってみる事にした。ただ、一向に彼女の行方は分からず、結局その日の内に失踪届が提出され、行方不明者として各メディアで報道された。
少し驚きだが、新聞には彼女の家の電話番号が掲載され、情報提供が相次いだ。彼女はバチカン市国内に住んでおり、父親はバチカン市国内で働くエリート職員だった為、街の住人も彼女らをよく知っていた。そのため情報を寄せる電話は鳴りやまず、かなりの目撃情報が相次いだ。ただ、どれもイタズラ染みており、彼女の足取りが追える情報はなかったという。
落胆していた家族だったが、7月3日、なんと当時の教皇、ヨハネ・パウロ2世がこの事件について声明を出したのだ。教皇はオルランディという少女が行方不明である事、誘拐の可能性がある事、心はオルランディ家とともにある事などを述べて祈りを捧げて締めくくった。バチカンの人口は千人にも満たないが、教皇がこのような声明をするのは異例中の異例であった。
そんな事から、彼女の失踪は当時国際的な注目を集める事件となり、捜査当局はその後も事件の真相を究明するために多くの手がかりや証言を収集しました。するとその2日後には、何者かから彼女を引き渡すという交渉の連絡があった。犯人らしき人物の要求は「1981年に教皇を銃撃したトルコ人、メフメト・アリ・アジャの釈放」だった。
ただこの交渉は当時のテロリストによる便乗だった事がわかり、結局彼女の発見に繋がる事はなかった。その後もこういった情報提供は続いたが、やはり彼女が見つかる事はなく、結局現在まで未解決事件となってしまった。
2018年にはバチカン国内で正体不明の骨片が発見され話題になったが、調査の結果、彼女のものではなかった。さらに2019年、彼女の家に匿名の手紙が届いた。手紙には「彼女はバチカンのチュートン墓地に埋葬されている」続けて「天使像が指している墓を探して下さい」と書かれていた。
家族は、すぐにその場所を見つけ出し、バチカンに許可を取り、19世紀の王女2人が埋葬されている墓を掘り返した。するとなぜかその棺も空であった。つまり彼女の手がかりは見つけられず、さらに他にも二つの遺骨がなくなっている事が判明してしまったのだ。
このオルランディ失踪事件が迷宮入りする理由としては、事件がバチカン市国内で起こっている事にある。バチカン市国内はイタリア国内とは異なる国家であり、捜査の際には独自の手続きが必要であるのだが、これが真相究明を遅らせていると言われている。実際、墓を掘り返した際には、バチカンから許可を取るのに2ヶ月以上掛かっている。
また、事件当時、バチカン市国内では様々な陰謀説が囁かれており、それが事件の解決を妨げた可能性も指摘されている。特に、深くは触れませんがバチカン国内では「売春」の噂が絶えず、最近も聖職者からの性的被害や誘拐騒動が起きています。また後に彼女の友人が匿名で証言した事ですが、彼女は当時「教皇にとても近い人物に性的に苦しめられた」という証言すら存在しています。
バチカンの機密性は世界一とまで言われており、その為、バチカンには性被害の他にも金銭面など様々な陰謀が存在します。実際、よく世界を支配している「ディープステート」と呼ばれる人物達が話題になりますが、その頂点に立つのがこのバチカン市国だと言われているほどです。※世界の支配者達についてはコチラの記事⇒【ディープステートが画策する今後の世界】をご覧ください。
このオルランディ失踪事件が有名になった原因は、実は事件の内容ではなくバチカン市国の闇にあります。もしかすると、この事件にはもっと深い闇が隠されているのかもしれません。多くの手がかりや証言を収集してきましたが、未だに事件の真相は分からない事を考えると、なにか大きな力が裏で働いているのかもしれません。
アメリカ:ゾディアック事件
※公開された犯人肖像画
アメリカ、サンフランシスコで1968年から1974年の6年の間に5名が殺害された事件。この事件は、犯人が自ら「ゾディアック」と名乗り、手紙などを使って新聞社などに自らの犯行を漏洩していた。実際、警察には37人殺害したと自白する手紙も届いていたという。
被害者はほとんどが拳銃で射殺された。最初の被害者は未成年のカップル、次は19歳と22歳の男女、女性は死亡したものの男性は重体を負ったが生還した。
犯人しか知りえない情報を話す男から警察に電話があり、指定した場所に訪れたところ新たな被害者が発見された。などという警察を挑発的するような行動も確認されている。またゾディアックは犯行を繰り返しながら至るところへ手紙を送っていた。その中には暗号文のようなものもあり、これが話題を呼んだ。
※画像引用元はコチラ:ゾディアックが実際に新聞社に送ったもの。通称「Z340:ゾディアック暗号」
容疑者は何名か浮上するものの確たる証拠がない事から一向に犯人特定には至っていない。ただ、これだけ注目を浴びた事件だったために今でも人気がある事件となっている。今でも我こそはゾディアックだと名乗る者や、自分の親族がゾディアックだと告白するものまでおり、現在もなお捜査が行なわれている最も有名な未解決事件となっているのです。
アメリカ:史上最悪の殺人事件
※画像引用元はコチラ:中央(アルバート・ハミルトン・フィッシュ)
アメリカ犯罪史で史上最悪の殺人鬼と呼ばれている「アルバート・ハミルトン・フィッシュ」という殺人鬼についてご紹介致します。シリアルキラー(食人者)であったフィッシュは「満月の狂人」や「ブルックリンの吸血鬼」などの異名で知られている。
正確な数字は明らかではないが、フィッシュは1910年から1934年までに約400人を殺害したと自供した。犠牲者の多くは児童だったが、中には成人も含まれていたという。※「満月の狂人」という異名は、犯行が満月の日に行われたことが多かったことに由来する。
フィッシュは孤児院で育ったのだが、そこではかなりの体罰が行われていたという。ただ、逮捕後フィッシュはこの体罰の経験を「楽しい思い出」として語っている。これがきっかけかはわからないが、フィッシュは強烈にサディズムとマゾヒズムの傾向にあった。実際、大人になったフィッシュは自身に釘を打ち込む痛みで快感を得て自慰行為を行っていたという。※逮捕後のレントゲン写真では29本の釘が身体に刺さったままだった。
ただ、フィッシュの異常さはそれだけではない。実は、フィッシュは快楽以外にも「肉を食べる目的」でこれだけの児童を殺害していたというのだ。実際、フィッシュは殺害した子供をシチューにして食べていたという。これらの奇行は精神的異常以外にも、宗教的概念が垣間見える。実際、フィッシュは神からの指示で人の肉を食べていたと言っている。
なんにせよ、フィッシュが異常者である事は間違いない。逮捕後、フィッシュの弁護士は精神異常を理由に減刑を求めたが、結局1934年に逮捕され、2年後の1936年に電気椅子による死刑が執行された。
日本:神戸連続児童殺傷事件
※画像引用元はコチラ:(実際の声明文)
神戸連続児童殺傷事件は、1997年の日本で発生した猟奇的な殺人事件の一つです。この事件は未だに多くの人々の記憶に深く残り、その悲惨さと犯罪の背景に対する議論は未だに続いています。昨今の猟奇的な事件に対しても引き合いに出される事も多く、サイコパスという言葉が広まるきっかけにもなった事件と言われています。また事件の背後に、いじめによる復讐心があったことが明らかになり、この事件をきっかけに日本はいじめ問題に対して再び考え直すきっかけとなりました。では、事件の概要を見て行きましょう。
1997年、神戸市の中学校の正門の前に「切断された人間の頭部が放置されている」という通報があった。すぐに警察が駆けつけ遺体の特定が行われた。なんと遺体は3日前から行方不明になっていた当時11歳の男の子だった事が判明。さらに詳しく調べてみると、この男児の耳は切り裂かれており、口内からは犯行声明文らしき物が挟まれていた。声明文は割愛しますが、犯人は自らをこう名乗りました。
「酒鬼薔薇聖斗」
残虐すぎるこの出来事は連日メディアにより報道され当時はかなりの話題になったと言います。そして数週間後、新たな犯行声明文(挑戦状)が神戸の新聞社に届く。ここでは声明文は割愛しますが、この異常な行動もメディアが取り上げており、声明文の内容も未だにネットに公開されています。
それからすぐに犯人は逮捕される事になるのだが、驚いたのは犯人の年齢だった。なんと、犯人は当時14歳の中学生だったのだ。またここでさらなる衝撃の事実が発覚する事になる。警察はすぐに取り調べを行ったのだが、この犯人の少年の口から数々の余罪が出てきたのだ。
実はこの少年、逮捕以前にも猟奇的な行動をとっていた。逮捕の数ヶ月前、少年は小学生の女児2人を通りすがりにハンマーで殴打、さらに1ヶ月後、小学校の敷地内に侵入し小学生の女児1人をハンマーで殴打、逃走する際、さらに小学生女児の腹部をナイフで刺し負傷させている。小学校で殴打された女児はその後脳挫傷により死亡が確認された。
捜査の結果、少年はこれらの事件の最後に正門前に遺体遺棄を行っていた。女児を負傷させてから約2か月後、5月24日の昼過ぎ、顔見知りだった小学6年生の男児を通称「タンク山」と呼ばれる高台にあるアンテナ基地に呼び出し、靴ひもで絞殺する。翌日に遺体を頭部と胴体部に切断。その日に胴体部はアンテナ基地局舎の床下に、頭部は持ち帰り27日の未明に中学校の正門に遺棄した。
その他にもこの少年は犯行前に数十匹の猫を惨殺しているのだが、この時の快感から人間にも試してみたいという感情が溢れたと後に供述している。実際、切断に使用された糸ノコギリは猫に使用されていた物が使われていたりする。その他にも、少年は遺体を「作品」と言ったり、実際に溢れた血液を飲んでいたりする。また頭部を持ち帰り、耳を切り裂いたのは「後に感動を思い出す為の記念品」などと供述した。酒鬼薔薇聖斗という犯行声明や、なぜ頭部を正門に遺棄したのかは単なる捜査かく乱の為だと供述している。
実際、当時の警察は犯人が30代から40代だと推測捜査していた。結局、事件後数ヶ月で少年は逮捕されるのだが、精神鑑定の結果、多動性障害(ADHD)だと診断された。その後、医療少年医に入り、少年法により氏名の公開はされず、数年後退所している。
実名報道がされていない事から、世間はこの少年を「少年A」と呼称して呼ぶ。そしてこの少年Aは、2005年にこの事件の全貌と経緯、社会復帰にいたる境遇などを小説にまとめて出版した。それが「絶歌」となる。かなり割愛してまとめてしまったので、彼がどんな人物で何故このような異常者になってしまったのかは以下、「絶歌」をご覧下さい。※但し、この本の出版に関して被害者遺族は承認していない。
まとめ
未解決の殺人事件、もしかしたら犯人はあなたのすぐそばにいるかもしれませんね。ドイツで起きた謎多き未解決事件はもしかするとこの世のものではない可能性もありますが…。とにかく謎は深まるばかりですが、未解決となった事件が一刻も早く解決する事を願っております。