有名なUFO墜落事件といえばロズウェル事件だが、実はこれまでに米国内だけでも20件以上もUFOの墜落が確認されている。
宇宙人との遭遇に関して言えばもっと低い数字になり、さらに、これらの事件が正式に調査された事実はほとんど存在しない。ただ、実は日本国内で正式に調査されたUFO遭遇事件が存在する。それが、今回紹介する「甲府事件」だ。
今回は、そんな日本で最も有名なUFO事件「甲府事件」の真相に迫っていきましょう。
日本で起きた宇宙人遭遇事件「甲府事件」とは
甲府事件(こうふじけん)とは、1975年に山梨県甲府市で起こったUFO目撃事件の事である。目撃者が宇宙人と接触している事から「異星人遭遇事件」とも呼ばれている。※ちなみに、当時の山梨県の甲府市ではUFO目撃情報が多発していた。
UFO目撃事件は数多く確認されているが、この甲府事件は新聞やマスコミなどにも取り上げられるほどにしっかり調査されている珍しいケースの事件となっている。これらのメディアの影響もあり、日本で起きたUFOや宇宙人関連の目撃事件としてはかなり有名な事件になる。
ちなみに、甲府事件の3年前の1972年(昭和47年)には、高知県高知市東部の介良(けら)地区でもUFO遭遇事件が確認されている。少年達が紙皿程の小型UFOを発見して捕獲したという事件なのだが、結局UFOは少年たちにおもちゃにされた後、消えてしまった。
証拠や写真が残されていない事から信憑性に欠ける部分は多々あるが、証言した少年たちの言い分は妙にリアルで整合性があり、作り話とは思えなかったという。その為、この事件も甲府事件と同様、日本で最も有名なUFO遭遇事件となっている。
甲府事件の詳細
1975年、2月23日の日没後。帰宅途中だった小学生2人(Y君とK君)が上空でオレンジ色に輝く2機のUFOを発見した。
話によると、そのまま1機は遠ざかっていったが、もう片方のUFOが二人を追いかけるように飛行して来たという。※この時、追いかけてきたUFOの底部から黒い筒のような物が地上に向かって伸び、「カチッ、カチッ」というカメラのシャッター音のような音がした。
※画像引用元はコチラ(少年が書いた黒い筒)
当然怖くなった2人は急いで近くのお墓まで走って逃げた。これにより2人は一度UFOを見失ってしまう。なんとかUFOから逃れてほっとした二人だったが、家に帰る途中、道の先にあるブドウ畑に炎が上がっているのを目撃。火事だと思った二人は、あぜ道を走って近づいたという。
だが、それは火事ではなく先ほどのUFOであった。なんと、UFOはブドウ畑に降り立っていたのだ。この時、なぜか2人に恐怖心はなく、むしろ好奇心でUFOの1メートル程度まで近づいて周囲を観察したという。2人の証言資料によると、UFOは以下のようなものであった。
・最初は回転していたが、停止した
・停止した時は青白い光になっていた
・横幅は2.5m程度
・高さ1.5m程度
・円盤型(アダムスキー型)
・底部に3個の球形の何か
・黒い枠の四角い窓がいくつかあった
・機体表面はステンレスのような銀色
・機体には見たことない文字が「5文字」横書きされていた
※画像引用元はコチラ(少年が書いたUFO)
そんな時だった。突然ガタンッという音とともに文字の右横のドアが開き、手前に倒れて階段になった。そしてなんと、そこから宇宙人が前かがみで下りてきたという。
※この時、K君はUFOの中を覗き込んだらしく、中にはもう一人の宇宙人がいたと証言している。しかもその宇宙人は「車のハンドル」のような物を握っていた。
※画像引用元はコチラ(少年が書いたUFO内部)
2人の証言資料によると、宇宙人は以下のようなものであった。
・身長は120〜130cmくらい
・顔の色は茶色でシワシワの「のっぺらぼう」状態
・髪の毛は生えていない
・3本の牙が生えていた
・耳は大きく尖っていた
・手の指は4本
・手袋、銀色の服を着ていて、腰にベルトをしていた
・背中にはチャックがあった
・ラッパのような銃らしき物を肩からさげていた
そして、降りてきた宇宙人にY君が肩を2回叩かれる。この時、宇宙人は電子音のようなキュルキュルという声を出したという。
それを見てY君は腰を抜かしてしまうが、K君がなんとか引っ張り上げて一目散に逃げ出すことに成功した。そのまま全速力で家に帰った二人は家族に今までの出来事を話した。※家に逃げ込む前に、離れた場所から3分ほど観察していたという資料も存在する。
その後、家族を連れてブドウ畑の100mほど手前まで戻り、あらためてUFOを観察した。家族と駆けつけた際には宇宙人の姿は確認できなかったが、「なにか燃えるような物体がブドウ畑にあった」と家族も証言している。そして、光は最後に強烈な光を放ち、スーッと消えてしまったという。
なぜ甲府事件が注目されたのか?
この2人の少年と家族の証言を元に現場付近で調査が行われた。すると、この事件が起こった山梨県甲府市の現場、ブドウ畑で「高濃度の放射能」が検出された。
当時の分析器では詳しくわからなかったが、このブドウ畑からは原子核を構成する素粒子の一つ「中性子線(ちゅうせいしせん)」が確認されたという。
また、この2人の話す内容は整合性がきちんとれていた。話の内容はバカバカしいものだが、この事から2人の少年の証言がたんなる妄想や虚言ではないと判断されたのだ。※ちなみに、少年らは被爆していなかった。
さらに、この事件から数年後。K君とY君が宇宙人を目撃したと思しき同日に、宇宙人を見たという数人の目撃者も現れた。中には宇宙人に車の窓ガラスを叩かれたという人物まで存在する。そして、その宇宙人の特徴は2人の少年の証言と酷似していた。
甲府事件とナチスUFOの共通点
※画像引用元はコチラ(ナチスUFOスケッチ)
内容が全て子供の作り話のような事件だが、これらの事が全て事実だと仮定した場合、宇宙人は一体何者だったのか。都市伝説の観点から考察してみましょう。
ここで注目したいポイントが「UFOの形」と「四角い窓」だ。このような円盤型(アダムスキー型)UFOの目撃情報は多く確認されているが、実は円盤型UFOで四角い窓をした物は未だにほとんど確認されていない。ただ、このUFOに近い物を作っていた国が存在する。
それがナチス・ドイツだ。これは都市伝説だが、第二次世界大戦中のナチス・ドイツは「ナチスUFO」というものを製作していたという噂が存在する。その中の一つに、今回の事件と似たUFOが存在しているというのだ。
ナチス・ドイツは様々な種類のUFOを製作していたらしく、その中にはベル型UFOや円盤型UFOも含まれていた。そして、その中の一部のUFOには「四角い窓」が付いているものがあったという。
さらに、ナチスと言えば「卍」だが、機体の中には当時ナチス・ドイツが神聖な文字として使っていた「ルーン文字」が描かれた機体もあったという。※ルーン文字は、占いなどでも使われる古代文字。
ここで思い出してほしいのが、甲府事件で確認されている機体に書かれた「謎の文字」だ。もしかすると、これはルーン文字だったのではないだろうか。ただ、甲府事件が起きたのは1975年になる。終戦後何十年も経っているため、当然ナチス・ドイツもヒトラーも存在していない。
世界のUFO事件とルーン文字の関係性
※ケックスバーグで目撃されたUFO
実はこのナチス・ドイツが開発していたUFOは、終戦時アメリカによって回収されたと言われている。そしてなんと、このナチスUFOは秘密裏にアメリカによって研究開発が進められているという情報が存在する。
実際、戦後の1965年にはアメリカのケックスバーグという町の森の中にベル型UFOらしきものが墜落した事がある。しかも、それはナチスが開発していたベル型UFO、通称ディグロッケに酷似していたという。※ちなみに、当然だが政府は「ケックスバーグには何も落下していない」と発表している。
さらに目撃者によると、このUFOらしきものにも「謎の文字」が描かれていたという。もしこれがルーン文字で、ナチスUFOだとしたら…。
そう考えると、アメリカは本当にナチス・ドイツからUFO技術を手に入れていたのかもしれない。そして、このナチスUFOの研究過程でケックスバークに墜落してしまったのではないだろうか。それから時が経ち、さらに研究が進んだ約10年後には日本にも訪れていて、それが今回紹介した「甲府事件」となったのかもしれない。
まとめ
甲府事件では高濃度の放射能が検出されていることから、このUFOの動力源に原子炉が使われているのは間違いない。
UFOの元になったナチス・ドイツがUFO技術を完成させていたのか、誰からこの技術を教わったかは不明だが、第二次世界大戦時のドイツの軍事力は確かに他の国々に比べて10年先をいっていた。
【南極にヒトラーの秘密基地!?】この南極の話にも出たように、もしかするとナチスドイツは本当に未知の生命体に接触していたとも考えられる。また、ナチス・ドイツが誕生する以前の1947年に葉巻型UFOが確認されているのだが、そこにはなぜかナチス・ドイツの「卍」のようなものが描かれていた。もしかすると、ナチス・ドイツは技術以外にも、信念や思想を宇宙人から教わっていたのかもしれない。
今回は、宇宙人は「人間だった」という体で記事をまとめましたが、宇宙人が作ったUFOと人間が作ったUFOの二種類が存在すると考えると全ての辻褄が合ってくるような気がする。もしかすると、人間は既にUFO技術や反重力を完成させているのかもしれない。