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國松警察庁長官狙撃事件の真犯人|警察庁と警視庁の関係性が生んだ未解決事件

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1995年3月20日、オウム真理教が「地下鉄サリン事件」を起こした。そしてその10日後の3月30日、当時の警察庁長官(國松孝次)が自宅マンションを出た所で何者かに拳銃で狙撃された。

 

誰もが「これもオウム真理教の仕業だろう」と思うのは当然でした。新聞やTVもオウム真理教の仕業という論調で報じられ、警察もその方向で捜査を開始しました。しかし、予想に反し國松長官を狙撃した犯人は一向に特定できず、ついに2010年3月22日に控訴時効となり未解決事件となってしまったのです。

 

 

國松長官は3発の銃弾を受けて瀕死の重症を負いましたが、何とか一命を取りとめ2ヶ月半後には公務に復帰しました。その為、殺人事件ではなく殺人未遂事件となり、罪の軽重という点で当時はそれほど話題にならなかった。オウム真理教関連の重大事件よりは軽視され、この事件が段々と忘れられていった事は仕方の無い事かもしれません。

 

ですが、この事件にはあまり報道されていない沢山の「事実」が隠されているのです。今回は、そんな「警察庁長官狙撃事件」について深く迫っていこうと思います。それではさっそく見て行きましょう。

 

國松警察庁長官狙撃事件の概要

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※画像引用元はコチラ(國松孝次:くにまつたかじ)

 

1995年3月30日、朝8時31分、当時の警察庁長官:國松孝次(くにまつたかじ)は、出勤のために荒川区南千住のマンションのエントランスを出た。すると待ち伏せしていた人物にいきなり拳銃で4回発砲された。発砲した場所からは約21m離れていたというが、そのうち3発が國松長官に命中した。

 

その後犯人は自転車で逃走。國松長官は日本医科大学付属病院高度救急救命センターに搬送され緊急手術を受けた。手術は長時間にわたり、途中で心臓停止が3回も起こったが、國松長官は何とか命を取りとめる事に成功した。

 

現場検証の際、現場からは「朝鮮人民軍のバッジ」と「大韓民国の10ウォン硬貨」が見つかった。また事件の約1時間後には犯人と思われる謎の男からテレビ朝日に脅迫電話があった。内容は「オウムに対する捜査をやめろ。國松に続き、井上(警視総監)大森(内閣調査室長)が怪我をしますからね」というものだったという。

 

 

警察庁長官狙撃事件の考察

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※画像引用元はコチラ

 

この事件には特異な点がいくつかありました。まず、銃を撃った位置から長官までの距離が約20m前後とされているが、この距離はライフルなら可能だが拳銃では遠すぎる距離となる。にも係わらず犯人は4発中3発を命中させている。さらに摘出された弾丸は、38口径のホロー・ポイント弾(ナイクラッド・セミワッドカッター)という現在は生産・販売が中止されている物であった。

 

これらの事から、犯人は拳銃に詳しく、射撃訓練を受けた者だと推測できる。民間人の銃所持が禁止されている日本で拳銃の射撃訓練を受けている人は自衛官か警察官、或いは競技射撃の選手となる。ちなみに、現在日本の警察官の拳銃のほとんどが38口径となっている。

 

従って犯人が外国人であれば別だが、日本人であれば犯人候補は相当に絞られてくる。拳銃なら暴力団説もあるのではないかという指摘もありますが、暴力団が使用している拳銃は中国やロシアから密輸入されたトカレフという物がほとんどで、これは25口径となっている。

 

しかし犯人が自衛官や警察官、競技射撃選手だとしても不思議なのは弾丸でした。ナイクラッド・セミワッドカッター、というタイプの弾は射撃訓練の時に弾丸から飛び散る鉛が人に影響を与えないようにナイロン樹脂で弾頭をコーティングした物です。1980年から1990年にかけて米国では一般販売もされていた弾丸ですが、貫通力が非常に強く、防弾チョッキも貫いてしまうので「コップキラー」と呼ばれ1992年に製造・販売が中止されているのです。

 

更に不思議なのは、弾頭の形状がホロー・ポイントと呼ばれる内側にへこんだ特殊なタイプであった事です。ホロー・ポイントの弾頭形状を持った弾丸は命中すると体内で破裂するように、ぼわっと広がり相手に大きなダメージを与えます。通常の弾丸より殺傷能力が格段に高く危険なので、これも1990年初頭に製造・販売が中止されています。

 

つまり、使用された弾丸は非常に特殊な物で、日本国内では入手不可能なのはもちろんの事、米国でも1990年以降は入手不可能なのです。つまり、この弾丸を持っているのは1989年以前に米国で買った人物以外には考えられないのです。

 

オウム真理教がいわゆる「武装化」を開始したのは1990年の中盤あたりからで、この弾丸が入手できた可能性は非常に低く、ましてや拳銃については全くの素人であるオウム真理教信者に今回のような高度な拳銃射撃が出来る人物はいないはずです。※オウム真理教幹部の一部には海外で射撃訓練をしていた者も存在している。

 

つまり、これらの事から犯人像を推測すると「この事件にオウム真理教は関係ない」という結論になります。ですので、事件後テレビ朝日にかかってきた脅迫電話は、オウム真理教に罪をなすりつけようとした者が行った偽装、もしくはオウム真理教が事件に便乗したものと思われます。

 

真犯人とオウム真理教の関係性

1996年5月、捜査が本格化してきた時の事です。当時、警視庁でオウム事件の陣頭指揮を執っていた櫻井勝(さくらいまさる)警視庁公安部長の所に、警視庁の小杉(こすぎ・T)巡査長がやって来て「自分が國松長官を撃ちました。自分はオウム真理教の信者です」と自白した。

 

補足:「警察庁」と「警視庁」の違い

ここで念のために「警察の組織構造」について解説をしておきたいと思います。まず日本は47の都道府県毎に警察を置いています。神奈川県には神奈川県警、大阪には大阪府警という具合です。しかし東京都だけは東京都警とは言わず「警視庁」という名称になります。そして「警視庁」も含めた、都道府県警の上部組織が国家行政機関である「警察庁」です。「警視庁」と「警察庁」は似ているので勘違いしやすいのですが、「警察庁」は「警視庁」の上部組織なのです。

 

そしてこの「警察庁」をトップとした内部組織が「公安警察」と呼ばれる者達です。公安警察は各都道府県の警察署に「公安部」を設けていて、この公安部は警察署の警察官とは独立して動いています。公安警察の主な活動は協力者管理(テロ・政府・政治・軍事の管理)となっていて、ほとんどの活動が特殊捜査となり極秘で行われています。※またこの公安警察の内部組織に「ゼロ」と呼ばれる組織が存在しており、その管理下にいるのが「作業班」と呼ばれるさらに極秘扱いの者達です。

 

長官狙撃事件の犯人は「警察関係者」

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※画像引用元はコチラ

 

警視庁の小杉巡査長の自供が事実なら、警視庁の現職巡査長がオウム信者と共謀して国家行政機関の長を銃撃したと言う事になります。理由はどうであれ、そうなれば警視庁の管理責任が問われるのは必至ですし、大スキャンダルになるのは確実です。

 

なので、告白を受けた櫻井公安部長はこれを隠蔽した。ただすぐに匿名の封筒が警察庁に送られてきた。封筒の中にはなんと内部告発状が入っていた。内容は「國松長官の狙撃犯は現職の警視庁巡査長である。櫻井部長はそれを意図的に隠蔽している」というものでした。これをきっかけに警察庁は櫻井公安部長を問い詰めた。すると櫻井公安部長は事実を認めました。警察庁はこれに激怒し、当時の警視庁の幹部を全員更迭(こうてつ:地位に就いている人の役職を解き、そこに別の人を充てること)した。

 

真犯人はオウム信者ではなかった

警察庁はすぐに小杉巡査長の取り調べを行いました。ただ自ら犯行を告白した小杉巡査長でしたが、その供述内容はあまりにも信用性に欠けるものでした。事実とは合わない点が多々あり、問題のホロー・ポイント弾(ナイクラッド・セミワッドカッター)の入手経路も曖昧でした。

 

また小杉巡査長は神田川に拳銃を捨てたと供述していましたが、いくら神田川を総ざらいしても凶器の拳銃は発見されませんでした。さらには、当初は「自分が撃った」と供述していたのにも関わらず、途中から「自分は実行犯の逃走を助ける係りだった」などと内容を翻してしまう始末。結局、小杉巡査長の供述は全く信憑性を欠くものであった為、処分保留のまま立件が見送られた。

 

その後、2004年、現場に落ちていた韓国ウォン硬貨からオウム信者のDNAが検出された為、警視庁は小杉巡査長を含むオウム信者4名を逮捕します。しかし、それだけの証拠で公判が維持できる筈も無く、結局、処分保留のまま釈放となり最終的には不起訴処分となりました。

 

この4人の逮捕が何故行われたのかよく分からない、という声が今でも聞かれます。一説では「この事件はオウム真理教がやったものだ」と世間に印象付けるためではないか、或いは「警察のトップが襲撃された事件で誰も逮捕者が出ないのは警察の組織自体が世の中から疑われる可能性がある為」どうにか実績を残したかったのではないかという説があります。特に、警察庁「公安部」は当初からオウム真理教が犯人と決めてかかっていた節があり、その結果がこの「よく分からない逮捕」につながったと言われています。

 

長官狙撃事件の真犯人「中村泰」とは

前述しましたが、警視庁の中には、警察庁の「公安部」と警視庁独自の「刑事部」が有ります。多くの役所がそうであるように、警視庁でも公安部と刑事部の関係は良好とは言えず、むしろ敵対関係と言っても良い関係になっています。お互いに情報交換や協力などは一切無く、それぞれが独自に動いています。小杉巡査長の逮捕を推し進めたのはこの警察庁「公安部」ですが、その一方、当時の警視庁「刑事部」は別の人物に目をつけていました。それが「中村泰:なかむらひろし」という人物でした。

 

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※画像引用元はコチラ(中村泰、1930年4月生まれ。長官狙撃事件当時65歳)

 

2002年、名古屋で銀行の現金輸送車を襲撃した事件で現行犯逮捕されていた「中村泰」という人物が、「国松長官を撃ったのは私だ」と自供した。この時中村泰は既に実質的に「終身刑」を言い渡されており、年齢的にももう外へ出られる見込みはありませんでした。その為、状況的には「何を言い出しても可笑しくない」状況であった。ただ、刑事部はこの男の経歴を調査して驚きました。

 

まず、中村泰は過去に東大理科二類に在籍しており、成績は極めて優秀だった。また機械にも強く、英語、中国語、スペイン語が堪能だったと言われている。その後共産党の地下活動に加わり、窃盗などの犯罪に関与して行く事になる。そして1956年、職務質問をしてきた警察官を射殺。裁判の結果、無期懲役が確定する。※共産主義や共産党についてはコチラの記事⇒【日本最大のミステリー事件】を参考にご覧ください。

 

28歳で無期懲役が確定したが、19年後仮出所が認められた。出所後、中村泰は北朝鮮の拉致被害者の奪還を掲げ、日本で武装組織を発足しようと画策。暴力団員などの協力者と共に、偽造パスポートを使ってアメリカに40回以上渡って銃を密輸した。(後の現金輸送車襲撃事件もこの「武装組織」の資金集めだったと考えられている)この際、中村は北米や中米に渡航し、銃器の取扱と射撃訓練に従事していた。その為、中村は特に拳銃の扱いについては特筆すべき技術を持っており、実際にいくつもの拳銃を所持していた。

 

結局、中村は現金輸送車襲撃事件で逮捕される事になる。家宅捜索した警察官は中村泰の隠れ家からパスポート・免許証・ナンバープレート・偽造戸籍などを押収しているが、そのほとんどが完璧な偽造品であったと言われている。(実際、パスポートなどは偽造ではなく、偽造の戸籍から発行された正規品であった)その後、銀行の貸金庫からいくつかの拳銃が発見され再逮捕され実質無期懲役が確定となる。※ちなみに、そこに「長官を狙撃した拳銃」はなかった。

 

なぜ中村泰は逮捕されないのか

中村泰はいびつな反権力思想と革命思想の持ち主であったが、ケタ外れの知識、素養、技術力、行動力を持っていた。確かにこの男であれば長官を拳銃で狙撃する事も可能かもしれません。実際、中村は1980年代後半に、アメリカでパイソン拳銃とナイクラッド・セミワッドカッター・ホロー・ポイント弾を偽名で購入している事が後の調査で明らかになっている。

 

その他にも、中村は犯行直後に逃走した自転車を近くに放置したと供述しているのだが、その放置場所が不審に置かれた自転車の目撃証言と一致している。さらには、犯人が所持していたとみられるカバンと同じものが中村の隠れ家から発見されている。その他にも真犯人しか知りえない情報を中村はいくつも知っており、刑事部は確かな裏づけも取っていたという。ですが、これだけの証拠、本人も自供しているにも関わらず、中村泰は逮捕されませんでした。

 

真偽のほどは分かりませんが、内部の人間によると、刑事部の某刑事は幹部から「気をつけろよ。やりすぎると何があるか分からんぞ。駅のホームで前の方に立つなよ」という忠告のような脅迫のような言葉をかけられたとも述べている。

 

実は、これらの流れから見てわかる通り、中村を逮捕する事は警察庁「公安部」の面子を潰し、不興を買う事になるのです。また、中村を逮捕する事は警察自体の面子を潰しかねなかったと言います。警察はオウムの犯行と断定して捜査し、メディアなどにも多くの情報を流していた。その為、今更オウム説をひっくり返せなかったとも言われているのです。世の中から反感を買うぐらいなら未解決として捜査を終了した方がいいと考えたのかもしれません。※実際、時効を迎えた犯人未逮捕の事件ではあるが、警察は現在でもこの事件をオウムによるテロ事件だと断定している。

 

そしてその後すぐに中村の捜査は打ち切られた。しばらくして公安と刑事部が協力した「中村特別捜査部」が作られたが、そこでも確かな成果は上げられなかった。結局、中村特別捜査部も打ち切られ、2010年3月30日、遂に國松警察庁長官狙撃事件は公訴時効を迎えてしまった。

 

中村泰の犯行目的と空白の10年

中村泰という人物は今回の登場人物の中で最も謎が多い人物となる。中村は終身刑になる前に、一度逮捕されており仮釈放されている。その後再逮捕されるまでに約10年程度の空白があるのだが、この空白の期間に何を行っていたかは詳しくわかっていない。

 

※ちなみに、中村泰は狙撃事件と同年に起きた未解決事件「八王子スーパーナンペイ事件」の容疑者候補としても捜査対象になっている。ナンペイ事件についてはコチラの記事⇒【日本で起きた不可解な未解決事件まとめ】をご覧ください。

 

中村は最初の捜査が打ち切られた後、なぜかマスメディア関係者と精力的に文通を行い始めていた。中村は「自分が犯人」だとメディアに自ら情報を提供し始めたのだ。マスメディアの力では裏が取れず中村が犯人と断定される事はなかったのだが、なぜ中村はそこまでして犯人になりたかったのか。これは邪推だが、もしかすると中村は誰かを庇っていたのかもしれない。実際、中村には仲間がいたと考えられているが、中村は逮捕されてからも仲間を売るような事はしなかった。

 

もしくは、仲間を売れなかったという事も考えられる。中村が画策していた事はほとんどテロ行為やスパイ行為に等しい。革命思想を持つ中村は資金源を先物取引で稼いだと供述しているが、その詳細はわかっていない。そう考えると、もしかすると中村が庇っているはもっと大きな存在なのかもしれない…。

 

まとめ

オウム真理教の幹部メンバーも他の重大犯罪については関与を認めているが、この事件だけは誰一人として関与を認めた者はいませんでした。他の殺人罪については認めているのに、殺人未遂罪について関与を否定するメリットなんてあるのでしょうか?けしてオウム真理教のメンバーを擁護するつもりはありませんが、やっていないものはやっていないのです。

 

実際、オウム真理教の代表:麻原彰晃は、國松長官狙撃の速報がTVで流れた際に「うわまえをはねる奴がいるのか」と言っていたとという元教団幹部の証言が残されています。真偽のほどは分かりませんが、本当であれば「ならば、うちがやった事にしてやろう。脅しに使える」と考えたのかもしれません。テレビ朝日への脅迫電話や小杉巡査長が突然自供を始めたのも、そう考えると…

 

この事件についてはもう結論は出ていると思います。ですが、既に終身刑が確定している老人を再度法廷に殺人未遂罪で引っ張り出す必要は無いようにも思えます。しかし、被害者である国松長官は「絶対に忘れられない」と言っています。被害者がキャリア組の官僚であっても一人の人間としては当然の事でしょう。犯人が不明ではいつまた襲われるかもしれないという危険を感じても当然です。最もキャリア官僚である國松元長官には「事実」は密かに伝えられているかもしれませんが…