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金融ユダヤが誕生したきっかけと宗教の歴史|三大一神教(キリスト教・ユダヤ教・イスラム教)の歴史まとめ

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宗教による争いは現在でも続いている。宗教の歴史は戦争の歴史とリンクしている点が多く、現在も陰謀論の根元となっている。現在、世界を支配しているのは「ユダヤ人」と言われているが、そもそもこのユダヤ人について理解している日本人はどのくらいいるだろうか?

 

 

そこで今回は、まずはそんなユダヤ教を含む世界三大宗教のルーツと歴史をご紹介したいと思います。この流れがわかってくると現在の世界情勢などもわかってくるので、おさらいがてらにご覧頂ければと思います。それでは、さっそく見て行きましょう。

 

世界の宗教「五大宗教」とは

まず、世界三大宗教は「キリスト教・イスラム教・仏教」となる。これにユダヤ教とヒンズー教が加わり「五大宗教」となる。この五大宗教を人口数でいうと、キリスト教徒は約23億人、イスラム教徒は約16億人、仏教が約4億人、ヒンズー教徒が約11億人、ユダヤ教徒(ユダヤ人)は約1,400 万人となっている。世界の総人口が約60億人程度なので、3人に1人がキリスト教徒となる。

 

仏教よりも人口が多いヒンズー教が三大宗教に入らない理由としては、ヒンズー教が「民族宗教」であることが理由であると考えられている。民族宗教とは特定の民族や人種によってのみ信仰されている宗教のことを指し、実際にヒンズー教を信仰しているのはほとんどがインド人となる。ユダヤ教徒に関しては下記で説明するが、正確には「ユダヤ」は信仰ではなく人種(民族)である。ユダヤ教の教えを信仰する者をユダヤ教徒と呼ぶ事もできるが、本当のユダヤ人になるには血縁関係が重要視される。

 

 

ヒンズー教の歴史とルーツ

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まず、世界で最も古い宗教は「ヒンズー教」だと言われている。紀元前3000~2000年頃、インダス川の流域、パキスタンに近いインダス渓谷の辺りで、先住民族と古代アーリア人がヒンズー教の前身である「バラモン教」を勃興しました。(歴史的観測圏外な為、バラモン教の創始者などは不明とされている)

 

そして古代アーリア人達は紀元前2000年頃にインドの北西部に渡る事となる。この時、インド土着の信仰とバラモン教が融合して「ヒンズー教」が生まれたと言われている。(もしくは、古代インド土着の信仰がヒンズー教で、後にバラモン教を吸収したという説もある)

 

ちなみに、現在の「ヒンズー教」として形になったのは4世紀頃だと言われているが、この間にも争いや土地の侵略が繰り返された為、宗教の歴史の多くが破壊されてしまっている。これらの事が原因で現在のヒンズー教は多神教となっており、いくつかの宗教の集まりで完成していると言われている。実際、広義的にはヒンズー教はインド国内の宗教全てを指す場合がある。

 

紀元前600年頃には、現在のネパール南部辺りで「ブッダ」が誕生し仏教が広まり始めます。これが一時的にインドで大人気となり、多くのインド人が仏教を信仰していた。結局インドでは仏教は消滅し、ヒンズー教が信仰され現在に至る訳だが、これがきっかけで当時はアジア圏で仏教が大人気となった。そして飛鳥時代(600年頃~)には日本にも仏教が浸透してくる事になる。仏教や日本の宗教の歴史についてはコチラの記事を⇒【神道と仏教のルーツと歴史】をご覧ください。

 

ユダヤ教の歴史とルーツ

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三大一神教と言えば「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教」だが、これらの宗教は全て中東で誕生している。その為、三大一神教は全て繋がりがあり、崇拝する「神」も全て共通している。そして、これらの宗教の始まりが「ユダヤ人」であり「旧約聖書」にはこのユダヤ人の歴史が描かれている。

 

まず、旧約聖書は天地創造から始まり、後にアダムとイブが生まれる。(一部の教派は紀元前5508年頃に天地創造が起こったと主張しているが、正確な天地創造の時期は不明。根拠、いつ起こったかなどの研究・議論は現在されていない)天地創造や人類の起源の都市伝説についてはコチラの記事⇒【人類の起源はアヌンナキだったのか】をご覧ください。

 

結局人類は神の怒りに触れ「大洪水」を起こされる。それを逃れるためにノアが箱舟を作って難を逃れる事になるのだが、この時、ノアは妻と三人の息子とそれぞれの妻、そしてすべての動物のつがいを舟に乗せたと言われている。

 

その後神から許しを受けた人類は地上に降り繁栄していく事になる。紀元前2000年頃、後のノアの子孫である「アブラハム」という人物が、現在のイラク南部辺りの「ウル」という所で生まれる。成長し結婚もしていたアブラハムが75歳になった頃、神から啓示を受ける事になる。神は、「生まれ故郷や父を捨て、カナンの地(現在のパレスチナ地域)へ行きなさい。そうすれば、あなたは国民の父となる。地上のすべての民族はあなたによって祝福される(略)」と言ったという。

 

アブラハムはこの言葉信じてカナンの地(現在のパレスチナ)へ渡った。この忠実な行いに感心した神は、アブラハムにカナンの地を授け、子孫の繁栄も約束(契約)した。実際、アブラハムの妻は子供を授かれない身体だったが、アブラハムが100歳、妻が90歳の時についに男の子(契約の子:イサク)を産む事になる。

 

その後、アブラハムは175歳、妻は127歳でその生涯を閉じたといわれている。ただ、アブラハムの子孫は神が約束した通りカナンの地(現在のパレスチナ)で繁栄していった。その子孫の数は「12の部族」まで拡大し、その後世界中に渡る事となる。神が約束した通り、アブラハムは国民の父となり、ユダヤ族の祖となったのだ。これが「ユダヤ人」の誕生の歴史とルーツとなる。ちなみに、ユダヤ教という名称は、アブラハムの子孫である民族(カナンの地の民族:12の部族)のひとつ「ユダ族」が由来となっている。

 

ただ、その後パレスチナは他の民族(ペリシテ人)に侵略されユダヤ人は追い出される。結局ユダヤ人は追い出された先でも迫害され奴隷のような生活を送る事になるのだが、それに耐えかねたのが「モーセ」だった。モーセ率いるユダヤ人は反乱起こし、パレスチナを取り戻そうとカナンの地へ戻る事を決める。(この時、道中でモーセは神から【十戒】を授かる)

 

そしてユダヤ人とペリシテ人の大きな争い(ゴリアテVSダビデ)が起こり、ユダヤ人はなんとかパレスチナを取り返す事に成功する。そして王位に就いていた「ダビデ」を王様としたユダヤ人の大国「イスラエル王国」を紀元前1100年頃にカナンの地で建国した。

 

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紀元前1000年頃、ダビデの息子であるソロモン王が、イスラエル王国の都市「エルサレム」にモーセの十戒を納め、ユダヤ教の礼拝の中心地として【ソロモン神殿(第一)】を建設した。※ソロモン王が初代フリーメイソンのグランドマスターと言われている為、ここからあの有名な秘密結社「フリーメイソン」が誕生したと言われている。古代フリーメイソンについてはコチラの記事⇒【政府を陰で操る秘密結社まとめ】をご覧ください。

 

しかし紀元前930年頃には内乱のためイスラエル王国は南北に分裂する事になる。結局、紀元前590年までには両国とも他国に滅ぼされてしまい、ソロモン神殿(第一)も壊されてしまう。(この時、モーセの十戒を納めた「契約の箱」とユダヤ人の10支族の行方がわからなくなる。これが、通称「失われた10支族」と呼ばれる者達。一部が日本に渡ったのではないかと言われており、それが「日ユ同祖論=日本人の先祖がユダヤ人」となる)

 

その後他国に捕囚されたユダヤ人(バビロン捕囚)だったが、紀元前500年辺りに解放され帰還を許される事になる。この時、ユダヤ人の前に神の使いである「大天使ガブリエル」が現れる。ガブリエルはこの時知恵と悟りをユダヤ人に授けた。またガブリエルは「もう一度、神殿を再建するよう」ユダヤ人に啓示を残したという。ユダヤ人達は文化上・信仰上の自由も許された為、再度ほぼ同じ場所に「ソロモン神殿(第二)」を建設した。

 

紀元前20年頃には当時のユダヤ人の王様「ヘロデ大王」によってソロモン神殿は改築され、大拡張された神殿「ヘロデ神殿」へと生まれ変わっていた。しかし、紀元前4年~西暦70年頃、当時栄華を極めていたローマ帝国軍が旧イスラエル王国を侵略。ヘロデ神殿はまたも破壊されてしまう。(現在も残る「嘆きの壁」と呼ばれる部分はこのヘロデ神殿の外壁の西側の部分と言われている)

 

その後、ローマ帝国の支配下におかれたユダヤ人達は反乱を起こすが失敗。西暦132年、旧イスラエル王国への立ち入りを禁止され離散させられる。(この時、ローマ帝国はユダヤ人の聖地であるカナンの地域を、ユダヤ人が嫌うペリシテ人の名前から取り【パレスチナ】と名付けた)各地に散らばったユダヤ人達だったが、ここからほとんどのユダヤ人達が長きに渡って迫害されるようになっていった。

 

ちなみに、古代の宗教には決まって「救世主(メシア)思想」というものがある。古代はダビデやソロモン王などが救世主として考えられていたが、次第にこの救世主思想は終末思想と結合してしまい「終末的メシア思想」へと変わっていく事になる。この思想は現在でも受け継がれているのだが、ユダヤ人が信じる「救世主」は今の所現れてはいないとされている。

 

キリスト教の歴史とルーツ

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西暦0年(イエスの誕生年が西暦元年:紀元の始まり)、当時、旧イスラエル王国はローマ帝国によって侵略されていた。旧イスラエル王国の都市エルサレムには多くのユダヤ教の民がおり、ほとんどのユダヤ人がローマ軍に虐げられていた。そしてその中に「マリア」というユダヤ人の女性もいた。

 

ある日、マリアの前に「大天使ガブリエル」が現れる。ガブリエルは神のお告げを授ける為にやってきたという。そのお告げと言うのが「マリアが神の子供を妊娠する」というお告げだった。これが所謂「受胎告知」や「聖告(せいこく)」と呼ばれるものだ。マリアは処女だったがその後本当に妊娠してしまい、子供を産む事となった。

 

そして生まれたのが「イエス・キリスト」だった。(ちなみに、当時のユダヤ人はほとんどの人が苗字を持っていなかった為、正式な名前は「イエス」となる。キリストというのは「救世主」の事を指す)このイエスが宣教活動を行い始めるのが30歳辺りになるのだが、この30歳になるまでの期間にイエスが何をしていたのかは不明となっている。一説では、世界を渡り歩いていたのではないかと言われている。実際、日本の「皆神山」にもイエスらしき人物が訪れていた痕跡が残されている。※皆神山についてはコチラの記事⇒【世界の立ち入り禁止区域まとめ】をご覧ください。

 

30歳になったイエスは、ヨルダン川で「ヨハネ」と言う古代ユダヤ人の預言者から洗礼を受ける。この時、天が開き「イエスこそ自分の子である」という神の声が聞こえたという。神に認められたイエスはこれをきっかけに修行と宣教の旅に出る。そして弟子を作り多くの人に宣教活動を行った。この時、イエスは「ユダヤ人でなくとも、神を信じる者は救われる」と布教し始めた。

 

当時、ユダヤ人は人類の起源がユダヤ人と考えており、ユダヤ人は自身が神から選ばれた民族だと信じていた。つまり極端な話、ユダヤ人は神に認められた唯一の民族で、人類の祖であると考えていたのだ。

 

そんな考えを「信じる者は救われる思想」によって改めさせようとしたのがイエスだったが、もちろんイエスの宣教活動は多くのユダヤ人から反感を買った。結局、宣教活動を始めて3年程度でイエスはユダヤ人によりローマ帝国に引き渡される事になる。イエスにローマ帝国が認める罪はなかったが、なぜか他の罪人と一緒にエルサレムで十字架に張りつけにされ処刑されてしまう。結果、エルサレムにある知人の家で12人の弟子達と食べた夕食が「最後の晩餐」となってしまった。

 

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しかしその三日後、イエスの墓が空になる。(現在の聖墳墓教会)そして各地でイエスの目撃情報が多数確認され始めた。当時、蘇ったイエスの姿を見たという人は約500人以上。そのほとんどが数々の「奇跡」を目撃することになる。

 

そして復活から40日目、イエスは弟子達と一緒にエルサレムから近いオリーブ山に登った。そこでイエスは弟子達にこう告げた。「あなたたちは、全ての国の人々を弟子にしなさい。父(神)と子(イエス)と聖霊の御名によって(神と一つになる)洗礼を授け、わたしがあなたたちに命じたことを全て守るように教えなさい。わたしは世の終りまでいつもあなたたちと共にいる」そう言い終わると、イエスはゆっくりと天に昇って行った。

 

そんな最後の教えを弟子達は忠実に世界中へ布教し始める。そしてこの出来事がきっかけとなり、イエスが「救世主(キリスト)」と呼ばれるようになり、イエス・キリストと呼ばれるようになった。これまでにイエスの教えは何度か弾圧されそうになるが、世界中に爆発的に広まり、これが現在で言う「キリスト教」となっている。

 

イスラム教の歴史とルーツ

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キリスト教が誕生して数百年後、西暦600年頃、アラビア半島の「メッカ」という所で新たな人物が神の啓示を授かる事になる。神から啓示を受けたのは、当時商人をしていた「ムハンマド(マホメット)」という人物だった。当時ムハンマドはいたって安定した生活を送っていたが、なぜか商業のかたわらメッカ近郊の山の洞穴にこもって瞑想を行うようになっていた。

 

ちなみに、当時のアラビア半島周辺(エジプト・サウジアラビア・イラク・イラン周辺)では様々な民族が生活しており、様々な神様が崇拝されていた。中にはシャーマンなども存在しており、人々に託宣を伝えていたり自然石や刻んだ石を聖石、神像として崇拝していたいたりしていた。またこの当時は多神教がメジャーとなっており、ユダヤ教やキリスト教の考えが完全に浸透するまでには至っていなかった。

 

そんな状況の中、ムハンマドの前に現れたのがあの「大天使ガブリエル」だった。ガブリエルはムハンマドに「天地の終末が迫っていること。神を偶像する行為をやめること。神は唯一神であること」を告げる。啓示を受けたムハンマドは困惑したが、やがて預言者として宣教を始める。

 

メッカの人々の何人かはムハンマドの説教を信じてくれたが、ほとんどの人々がムハンマドに耳を貸そうとはしなかった。結局ほかの宗教に迫害され、西暦622年、ムハンマドは信徒達と共にメッカを離れる事になる。そしてメッカの北方約350㎞にあるヤスリブ(メディナ)という所にムハンマドは移る事になる。

 

ヤスリブはユダヤ人が住む小さなオアシス農村だったが、ヤスリブの村人はムハンマドの教えに感銘を受けムハンマドを快く迎え入れた。西暦622年、ヤスリブの住民とメッカからの移住者の支持を得て、現在の「イスラム教」の出発団体が誕生した。

 

ここからムハンマドの逆襲が始まる。ムハンマドは指導者としても政治家としても優れていた。まず、ムハンマドはイスラム教に懐疑的なヤスリブのユダヤ教徒を追い出し、周辺アラブ諸島の部族を強制的に改宗させた。次第に勢力は強まり、西暦630年にはついに故郷のメッカを征服する。西暦632年にムハンマドは亡くなってしまうが、この時には既にアラビア半島のほぼ全域がイスラム教で統一されていた。

 

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ムハンマドの伝説はこれだけではない。実は、ムハンマドの死の直前あの大天使ガブリエルが現れた。そしてガブリエルはムハンマドを「エルサレム」まで一夜で連れて行き、ムハンマドの死を見届けたという。ムハンマドは最後にそこで神の言葉を授かり馬に乗って昇天した。伝承では、ムハンマドは神の御前に至ったと言われている。(ムハンマドが旅立った場所がエルサレムの「岩のドーム」と言われている)

 

ムハンマドは亡くなる前に神の啓示を正しく伝える為に「聖典(コーラン)」を残していた。これは今でもイスラム教徒の聖典として引き継がれている。また、ムハンマドは政治的指導者としても優秀だった為、その教えは子孫に引き継がれていき「ハディース(習慣やルール)」としてまとめられ現在のイスラム教徒に深く根付いている。

 

イスラム教には聖典と明確なハディース(習慣やルール)がある為、一部を除いて強い支配欲求や「終末的メシア思想」はありません。イスラム教徒的にはムハンマドは救世主ではなく「最後の預言者(神の代弁者)」となっており、イスラム教徒はこの教えの元で世界が統治される日がくると信じています。

 

イスラム教の教派と宗教の歴史

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現在は以外に謙虚なイスラム教徒だが、当時このイスラム教徒の勢いは止まらなかった。イスラム教徒からなる「イスラム王朝」の時代が始まったのだ。当初はアラブ諸島の部族が中心だったが、イスラム王朝は旧イスラエル王国周辺、アラビア地域、西アジア周辺までにも拡大していた。当初はほとんどがアラブ人だったが、イスラム王朝が拡大するに連れアラブ人以外の人種にもイスラム教が伝播していった。※ちなみにこの時にはエルサレムもイスラム教が占領していた。ローマ帝国(キリスト教)は奪還しようと「十字軍」を派遣するのだが、これが後の「テンプル騎士団」となる。テンプル騎士団についてはコチラの記事⇒【テンプル騎士団の財宝伝説】をご覧ください。

 

この頃には地中海に接するほとんどの地域がイスラム教徒の支配下になっており、イスラム王朝には多くのトルコ人がいた。当時イスラム王朝の君主(皇帝)がオスマン家というトルコ人だった為、この時には「オスマン帝国」と呼ばれるようになっていた。そんな大国は約600年間続いたが、西暦1922年、オスマン帝国は第一次世界大戦に敗れ滅亡する事になる。同時に反帝国主義運動(トルコ革命)が起こり、トルコ共和国が独立。またこれに加えて19世紀頃からは教徒被支配民族の独立運動が活発となっていき独立国家が続々と誕生していった。

 

オスマン帝国敗北後、独立運動が起こった為、現在のイスラム教は1人の君主をそれぞれの国に置く君主制を敷いています。ただそんな君主制がきっかけとなり、現在のイスラム教にも派閥が生まれる事となる。派閥は大きく分けると「スンニ派」と「シーア派」に分けられる。

 

ほとんどのイスラム教徒が経典とハディース(習慣やルール)を信仰している「スンニ派」となるが、「シーア派」は経典とハディースを認めていない。イスラム教にはイスラム法というものがあるのだが、シーア派はこのイスラム法も認めていない。シーア派が信じているのはムハンマドの血脈者となるイマーム(指導者、導師)のみとなっており、教団国家を支配しようとする「支配者思想」が強い。シーア派の現在の中心地はイランとなっているが、この教派が原因となって現在でも内戦や他国間での争いが起きている。(ただ表向きは宗派対立と言われていても実は経済的な利権争いであることも多い為、一概に両者の仲が悪いとも言えない状態となっている)

 

キリスト教の教派と宗教の歴史

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キリスト昇天後、キリスト教は世界に渡り宣教活動を行っていた。西暦392年には当時のローマ帝国の皇帝がキリスト教を国教(国の宗教)とし、イエスの弟子のペトロが「初代ローマ教皇」となった。その後ペトロの後継者にあたるローマ司教(ローマ教皇)が領主となり、教皇領を徐々に拡大していった。このローマ司教を最高指導者としたキリスト教の影響力は、ローマ帝国全域にとどまらず、ヨーロッパ、世界各地に及んでいた。

 

ただ、その後ローマ帝国は分断や侵略を繰り返し、西暦1453年に崩壊する事になる。同時に、この時キリスト教に派閥が生まれる事になる。実は、ローマ帝国崩壊後、西ヨーロッパの「カトリック教会」が神に禁止されていた偶像崇拝(神を偶像する行為)を解禁したのだ。

 

この時、東ヨーロッパのキリスト教徒は偶像崇拝を認めなかった。これが「ギリシャ正教」と呼ばれる派閥となった。ここからギリシャ正教は、カトリックのような教皇をトップとする組織構成をとらず、「正教会(各地域の独立教会・自治教会)」によって、当時の正教信仰と教会を保っている。

 

※ちなみに、この頃ヨーロッパなどでは感染症が爆発的に蔓延していた。一説ではローマ帝国が崩壊したのも感染症が原因だと考えられている。当時の感染症についてはコチラの記事⇒【人類史上最悪の感染症の歴史】をご覧ください。

 

西暦1534年には、カトリック教会の男子修道会である「イエズス会」がフランシスコ・ザビエルらによって創設。西暦1540年には当時のローマ教皇から承認され、ザビエルらは世界各地へ渡り宣教活動を始める。そして日本にもカトリックが伝わり始める。

 

西暦1600年頃、カトリック教会はまたも宗教改革を行う。この時、カトリックは「免罪符=贖宥状(しょくゆうじょう)」という罪の償いを軽減する「証明書」を売り始めた。もちろん西ヨーロッパのカトリック派でもこれは許せなかった。これが発端となり、抗議した派閥が「プロテスタント」と呼ばれる派閥となった。(プロテスタントにも全体を統括するような組織構成は存在していない。プロテスタントが信じるものは聖書とキリストの教えのみとなっている)

 

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西暦1796年にはフランスがヨーロッパ地域に侵入(ナポレオン戦争)。西暦1800年頃にはフランスが占領していた地域がまとめられ、共和国「イタリア王国」が設立された。イタリア王国の中部は教皇領となっていたが、結局イタリア王国に攻められ教皇領もイタリア王国に接収されてしまう。

 

西暦1860年頃、イタリアの王族によって革命が起こりイタリアの領土が過去にイタリアを統治していたサルデーニャ王国に返され、西暦1861年に統一国家として改めてイタリア王国の成立が宣言される。

 

そして西暦1900年頃に一部の教皇領(バチカン市国)が特別な地域と認められ教皇に返されバチカン市国が独立国家として認められた。そしてここが現在でもキリスト教徒の聖地となり、信仰の発信地となっている。※ちなみに、この辺りから異端のキリスト教徒思想が誕生する事になる。それが現在の「引き寄せの法則」の元になっている。引き寄せの法則についてはコチラの記事⇒【引き寄せの法則が誕生したきっかけ】をご覧ください。

 

現在のユダヤ教(ユダヤ人)の特徴

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ローマ帝国を追放されたユダヤ人はその後各地に移り住む事となった。ただ、その後ほとんどのユダヤ人は奴隷のように働かされ迫害の対象となっていた。中にはユダヤ人を虐殺する民族などもいたという。そんなユダヤ人に残された道は「金融業」であった。当時のキリスト教・イスラム教では「お金の貸し借り」が禁止されていた為、ユダヤ人が生きていくにはこの「お金の貸し借り」を生業にするしかなかったのだ。

 

ただ、これが大当たりする事になる。各地に散らばったユダヤ人達は金融業で大金を稼ぎ出すようになっていった。その結果、資金面で王族や国の援助を頼まれる立場となっていく。※この流れが現在でも続き、争い事の裏にはユダヤ人が絡んでいると言われている。実際、陰謀論で有名なロスチャイルド家もユダヤ人であり、上記で述べた「ナポレオン戦争」辺りから莫大な資産を築き始める。ロスチャイルドについてはコチラの記事⇒【新世界秩序とロスチャイルドの関係性】をご覧ください。

 

聖地エルサレム(パレスチナ)の現状とイスラエルの関係性

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ローマ帝国に追放されたユダヤ人達だったが、西暦1900年頃から「ユダヤ人の国家をパレスチナに作る動き」が生まれてくる。これが「シオニズム(シオン運動)」と呼ばれるもの。そんな時(西暦1918年)、第一次世界大戦が起こった。第一次世界大戦は連合国(イギリス・フランス・ロシア・イタリア・日本・アメリカ等)と中央同盟国(オスマン帝国・ドイツ等)の世界大戦となった。※第一次世界大戦のきっかけとなった事件についてはコチラの記事⇒【第三次世界大戦を予言する人物とは】をご覧ください。一説では、これらの戦争は既に計画されていると言います。

 

この際、連合国のイギリスがユダヤ人に資金援助を求めた。イギリスはユダヤ人への見返りに、当時オスマン帝国の支配下にあった「聖地パレスチナ」を提示した。シオニズム運動が活発に行われていたユダヤ人達はもちろんこれを承諾した。

 

結果、この戦いで連合国が勝利する。シオニズム運動にも勢いがつき続々とパレスチナ近郊にユダヤ人達が住み着く事になる。ただ、元からいたアラブ人達が黙っていなかった。実は、イギリスは第一次世界大戦前に、イスラム教徒のアラブ人達にも同じ約束(内乱を起こしてくれたらパレスチナを上げると約束)をしていたのだ。これが、所謂イギリスによる「三枚舌外交」というものだ。

 

これにより、アラブ人とユダヤ人の争いが勃発する。第一次世界大戦後のパレスチナは一時的にイギリスが統治していたのだが、次第にシオニズム運動が過激になりテロが多発、アラブ人との争いも激化していった。結局イギリスはパレスチナから撤退する事になり、国連が仲裁に入る事になった。

 

西暦1947年、国連はパレスチナの地をアラブ人とユダヤ人に分ける「分割決議案」を採択。エルサレムを除き、パレスチナの大部分がユダヤ人の土地となった。そして西暦1947年、ユダヤ人の国「イスラエル」が建国された。(パレスチナの一部とエルサレムは国連が管理)

 

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もちろんこれに怒ったアラブ人達は周りのアラブ諸国を集めて暴動を起こした。これが「中東戦争」へと発展する事になる。またもユダヤ人が追放されるかと思われたが、中東戦争はなぜかイスラエルが圧勝する事になる。この戦いにより、一時的にパレスチナ地区は全てイスラエルの占領下となったが、その後もアラブ人によるテロなどが多発した。

 

そこで設立されたのが「パレスチナ解放機構」だった。パレスチナ解放機構の目的は、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が共存するパレスチナ国家を独立させること。西暦1993年、イスラエルはパレスチナ解放機構に「パレスチナの一部が帰属」する事に合意した。(現在、パレスチナ解放機構はガザ地区、西岸地区の一部、パレスチナの一部を管轄。国連加盟国の多くが「パレスチナ解放機構」を国家として承認しているが、日本や欧米諸国は未承認となっている)

 

とは言っても、ユダヤ人を率いるイスラエルはパレスチナ解放機構を認めている訳ではない。むしろ、パレスチナどころか「エルサレムはイスラエルの領土」だと主張している。この争いによるテロなどは現在でも続いている。この争いがどうなるかはわからないが、今後のイスラエルの目的はエルサレムを含むパレスチナの完全統治となるだろう。宗教の聖地がきっかけで行われている争いだが、こう見ると争いはまだ始まったばかりなのかもしれない。

 

聖書(旧約聖書・新約聖書)はいつ書かれたのか

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ちなみに、三大一神教の起源がユダヤ教となるが、このユダヤ教の歴史や律法(神の定めたルールや命令)が記されているのが「旧約聖書」となる。旧約聖書はいくつかの歴史書の集合体である為、長い時間を掛けて編纂された。旧約聖書に含まれる最も古い歴史書は、紀元前1300年頃に書かれたとされる「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の五つの文書となる。これが「モーセ五書」と呼ばれるものだが、その後に他の文書がだんだんと加わっていき最終的に39の文書断片群となった。

 

紀元前400年頃にはこれらを全てヘブライ語でまとめたものが「1つの書物」として認識され始め、西暦100年頃、現在の「旧約聖書」として認められた。(現存する最古の写本は紀元前100年頃に書かれたとされる【死海写本】となる)

 

ちなみに、ユダヤ教の律法はもう一つある。それが「タルムード」という口伝律法をまとめた文章群。タルムードはモーセが残したもう一つの教えを口伝により継承したもの。実は、モーセが神から啓示を受けた際、神は「口伝で語り継ぐべき教え」もモーセに与えていた。西暦200年頃までは口伝によってユダヤ人が伝承していたが、争いや迫害の経験から存続の危機を感じていたユダヤ人の指導者や学者が書物としてまとめた。これは現在でも多くのユダヤ教徒から聖典として認められており、現代では成功哲学としても話題となっている。

 

 

そして西暦100~200年頃、イエスの弟子たちによって「新約聖書」が作成される。新約聖書は27の書巻で構成されており、内容は主にキリストの生涯と福音(イエスの教え)、教会の歴史、そして最後がヨハネの黙示録となっている。キリスト教はこの新約聖書と旧約聖書を合わせて「聖典」としているが、範囲などは教派によって異なる場合もある。(新約聖書を含む最古の写本は西暦400年頃に書かれたとされる【シナイ写本】となる)

 

その後イスラム教が誕生してコーラン(イスラム教の聖典)が作られる。イスラム教は「新約・旧約聖書+コーラン」を聖典としているが、ユダヤ教とキリスト教はこれを認めていない。さらに言うと、ユダヤ教はキリスト教の新約聖書を認めていない。宗教の起源でもある中東地域では現在でもこういった事が原因で争いが絶えない。現在は同じ国に異なる教徒が存在している場合も多いが、裏では宗教による争いが続いているのです。

 

まとめ

迫害されて各地に散らばったユダヤ人だが、現在のユダヤ人は圧倒的な権力と資金力を持っている。ユダヤ人の国「イスラエル」の建国と歴史を思い返してほしい。第一次世界大戦後、国連により「分割決議案」が採択されたが、この際、実は国連はユダヤ人によって実質支配されていた。また、中東戦争時にはアメリカがイスラエルに加勢する事になるのだが、この際もアメリカの政治家はほとんどがユダヤ人に実質支配されていた。

 

莫大な財産を築いたユダヤ人の影響力は、全世界に広がりアメリカをも支配しているのだ。これは陰謀論ではなく事実となる。ロスチャイルド財団が18世紀頃から莫大な資金を元に様々な国に援助を行っていた事から、ロスチャイルド一族が陰謀の根元と言われるようになっている。確かに現在はかなりの権力と利権を握っているが、ただよく考えてみてほしい。そのお金はどこからきていたのか。

 

銀行のような役割を担っていたユダヤ人にお金を預けていたのは当時の(他宗教の)貴族王族や革命指導者達だ。そのお金を動かすのは金融ユダヤ達だったが、王族や貴族はこれを「利用」していた。「担保とした土地を取り上げるため」「独立や暴動を起こすため」に銀行の「投資」をうまく利用したのだ。(そもそも昔はユダヤ人が迫害の対象となっていた為、平気でユダヤ人から財産の没収なども行われており、ユダヤ人が財源として見られていた時代もある)

 

この流れは現在も続いている。現在、ユダヤ人は確かに金融のトップにいるが、それを利用する者も存在しているのだ。これらの争いの歴史はまだ続いている。現代の金融ユダヤは「中立国家」を宣言している金融国家であるスイスを主な中継活動拠点としている。もしかすると、この銀行のシステム、秘匿性を理解できると貴族や王族が次に何をするのか、ユダヤ人をどう利用しているのか、アメリカがどのように利用されているのか、が見えてくるかもしれない。なんにせよ、宗教による争いの歴史はまだ始まったばかりだ。