犯罪率がとても低いといわれている日本ですが、実は不可解で残虐な殺人事件は日本でも数多く起きている。未だ犯人が捕まっていない未解決な事件も多く、中には遺族の無念を残したまま時効を迎えたものも多いのです。
今回はそんな未解決で不可解な事件をいくつかご紹介したいと思います。それでは、さっそく見て行きましょう。
世田谷一家殺害事件
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事件の名前を1度は耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。さまざまな事件のなかでも残忍すぎる犯行に日本中が注目した「世田谷一家殺害事件」です。事件が起きたのは21世紀を目前にした2000年の12月30日の夜間から31日の未明に掛けてでした。この日、8歳と6歳の子供を含む、一家4人が刃物でめった刺しにされて殺害されました。
幼い子供が2人も殺害されている事から残忍極まりない事件としてメディアに取り上げられましたが、未だに犯人は捕まっていません。犯人は4人を殺害した後に自宅に留まっており、パソコンを触ったりアイスを食べたりと、犯人の異様な行動も明らかになっています。犯人の靴の跡や指紋なども発見されているのですが、なぜか犯人は捕まっていません。
遺族は事件解決を望んで事件が起こった自宅を残していましたが、老朽化のため2020年に取り壊しが決定し、事件の真相はますます迷宮入りになると囁かれています。こちらの記事では⇒【未解決事件「世田谷一家殺人事件」の真相】この事件の真相に迫っておりますのでご確認下さい。
プチエンジェル事件
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日本には触れてはいけないタブーというものが存在します。特に日本の皇族や政財界の人間をターゲットにした記事はこれに当たります。これまでに多くのスキャンダルや事件などが隠蔽されもみ消されてきました。実際、今回紹介する事件もその対象となった事件となります。
通称、プチエンジェル事件。プチエンジェル事件は、2003年7月、東京都の赤坂にあるマンションの一室で起きた小学生を含む少女4人が誘拐、監禁された事件となります。犯人はこういった少女らに児童買春を行わせており、非合法の未成年者デートクラブ「プチエンジェル」を経営していた。この店舗の名前が引用され「プチエンジェル事件」と呼称されている。
経営者の男は過去に買春で逮捕歴があり執行猶予中だったが、無店舗型という経営スタイルで警察の目を掻い潜り、主に売春斡旋、わいせつビデオの販売で多額の利益を得ていた。またその他にも、渋谷や新宿で現役の女子高生数人をスカウト、客引きとして雇っており、下着提供や裸体撮影などでも利益を得ていたという。確かな情報ではないが、総額約30億円程度の利益を上げていたとも言われている。
事が動き出したのもこのスカウト行為がきっかけだった。7月上旬、一人の少女が渋谷で経営者に勧誘され電話番号を交換してしまう。その後連絡を取り合う仲になり、7月13日、少女は友達を含めた4人と共に経営者が経営する店舗へ向かう。この際、経営者は口実として「部屋を1万円で掃除してほしい」と少女らにお願いしたという。
マンションに着き、少女らは掃除を始めるが、ここで経営者の態度が豹変する。少女らは手錠と目隠しをされて監禁されてしまったのだ。同日深夜には少女らの家族が捜索願いを提出、次の日の15日にはメディアで少女らが行方不明だと報道された。17日、1人の少女が手錠をはずして脱出、外に出て近くの花屋に助けを求める事に成功。駆けつけた警察官は犯人のマンションへ向かう。駆けつけた警察官により4名の少女は無事保護されたが、経営者の男性は既に死亡していた。
なんと犯人はリビングでビニールをテント状にし、練炭自殺を図っていたのだ。解剖の結果、犯人は16日の早朝には死亡していたという事がわかった。現場には自殺を図った男性経営者しかおらず、遺書もなかった事から犯行の動機や自殺の原因などは分からなかった。
警察は追い詰められた犯人が自殺を図ったと推測してその後の捜査を行った。結果、犯人が借りていた埼玉県久喜市のアパートから数千本以上のわいせつビデオと、約2,000名に及ぶ過去の顧客リストが押収された。この顧客リストが最も闇深い物であった。過去の顧客の中には、現役の政治家、医者、弁護士、裁判官、皇族などがおり、誰もが聞いた事がある著名人が多く載っていたというのだ。警察はこれらのリストは偽名であったと発表しており、犯人が単独犯だと断定。単独犯である犯人が死亡した事から、早々に捜査は打ち切られた。
連日多くのメディアが取り上げていたが、捜査の打ち切りと同時にぱったりとメディアでも報道されなくなったという。なんらかの権力により報道規制が入った事が垣間見えるが、詳細は不明。後にこの事件を独自に追ったジャーナリストは何者かに殺害され東京湾に遺棄されている。また犯人の親族も謎の死を遂げており、被害者少女の足取りは詳細が公開されていないので追跡はできない。噂では事件後すぐに再度行方不明になったという情報すら存在する。
では一体なにを「隠蔽」しようとしているのか。まず考えられるのは、犯人の共犯者だろう。こういった売春の裏には決まって「フィクサー」が存在する。アメリカのエプスタイン事件がいい例だ。深くは触れないが、ある意味顧客リストに政治家などが載っていた事がそういった存在がいる事の証拠にもなる。実際、犯人はテント状のビニールで自殺を図ったが、後にビニールが敗れている事が判明しており、煉炭による自殺は不可能だった事がわかっている。ただもちろんこの事件について再捜査はされていない。
今後も真相どころか関係者すら現れないだろう。なんにせよ、この事件がきっかけとなり世の中は児童買春について考えさせられるきっかけとなった。また、この事件をきっかけに幼い少年少女の非行や徘徊に対して厳しい指導がなされるようになったのも事実だ。(当時は事件を受けて早々に渋谷で一斉補導が行われ、少年少女1,500人以上が補導対象となったいう)
八王子スーパーナンペイ射殺事件
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事件が起きたのは、東京都八王子市のスーパーナンペイ大和田店でした。1995年7月30日、その日、地元の町ではお祭りが行なわれており、スーパーにはいつもよりも多くのお客が訪れていた。
事件が起きたのは閉店後でした。スーパーで働いていた女性従業員3名がスーパーの二階の事務所で銃殺されたのです。売上金目当ての強盗だと思われたものの、物色した形跡も見られず、事務所にあった金庫には開けようとした形跡はなく、金銭等は取られていなかった。(金庫に一発の弾痕あり)
アルバイトの女子高生は粘着テープで口をふさがれ、手を縛られた状態で至近距離からフィリピン製の拳銃で頭部を撃たれていました。女性従業員、パートの女性は縛られてはいないものの、殴りつけられた後、頭部を撃たれ殺害されています。
以前被害者のパート女性の元に脅迫文が送られて来ていたことから、警察は怨恨による犯行で捜査を行いました。捜査の結果、実行犯は1名で靴のサイズなどから性別は男性だと断定された。また、犯人の足跡や指紋の一部が粘着テープに付着していたのですが、やはり未だに犯人逮捕には至っていません。
この事件は度々話題になり、その後もいくつかの証言や犯人候補者が現れたが、結局この事件の真犯人に迫る情報は出てきていない。2015年には現場に残された指紋がほぼ一致した人物が現れたが、証拠不十分で逮捕には至らなかった。合計5発の発砲をしており、その殺害状況からも、犯人は銃の扱いにかなり慣れている人物であると推測されていますが、やはり未だに不可解な未解決事件となっています。
便器内怪死事件
事件が起きたのは平成元年2月28日。福島県の山間の村にある教員住宅のトイレでした。村の小学校に勤めている女性教員が教員住宅のトイレを利用しようと、ぼっとんトイレの中を覗いたところ、靴のような物体が見えました。外にある汲み取り口に確認しに行くと、汲み取り口の蓋が開いており、その物体が人間であることが判明しました。
汲み取り口は小さく中の人物が取り出せなかった為、便槽を取り壊して中の人物を引っ張り出したものの、その人物は上半身裸の状態で既に死亡していました。解剖の結果、死因は凍死とされており、便槽に入ったときにはまだ息があったとされています。死亡したのはこの村に住む音楽が好きな青年でした。
警察は事件ではなく覗きを目的に便槽に潜入して出られなくなって死亡してしまった事故死として処理しましたが、事故にしては不可解なことが多いとして疑問の声があがっています。ただ、その後再調査はされることはなかった。
では何故早々に捜査が打ち切られたのか。中の青年は真冬だというのに上半身裸の状態で発見されており、明らかに一人の力では入り込めない空間に収まっていた。また、この青年は人当たりが良く村の住人からはかなりの人気がある優しい好青年だったという。口を揃えて覗きなんてするハズがないというのが住人の意見だった。
実際、第一発見者の女性教員もこの青年に強い好意を寄せていたという噂がある。警察はどんな事件の際にも第一発見者を真っ先に疑う事になる。もちろんこの事件も同様に調査された事だろう。これは公開された情報ではないが、第一発見者の女性は村では有名な名家であり、その父親が警察関係者の「偉い人」だったという噂がある。
その後、この一家は引っ越してしまい足取りは掴めないが、何故かこの一家については現在でも村のタブーとなっており、村人はこの一家については固く口を閉ざしている。もしかすると、警察にもなんらかの圧力が加わった可能性があるのだ。真相はわからないが、これらの事からやはり未だに事件だと考えている人も少なくない不可解な事件となっている。
伊勢市女性記者行方不明事件
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1998年の11月、三重県の伊勢市で記者として活躍していた女性が行方不明となった。夜遅くまで仕事をしていたという目撃情報が最後で、未だに行方不明の未解決事件となっています。
この女性記者は当時、三重県にある「別名:売春島」と呼ばれている島の取材を試みており、闇の組織に殺害されたのではないかと噂されています。性に乱れた島の実態が世の中に明るみにならないように殺害されたという独自の見解を持つ人も多いのですが、記者の死体すらも見付かっていない為、真相は闇の中となっている。※ちなみに、現在の売春島は安心で安全な街づくりを宣言していて、風俗島のイメージを払拭しようとしていますが、現在はどんどん廃墟化が進んでいるそうです。
熊取町7人連続怪死事件
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1992年、7人の若者が立て続けに不可解な死を遂げた。さらにこの事件は、わずか2ヶ月半という短い期間の間に起こっており、遺体が見つかった場所は半径1.2km以内に集中していた。このあまりにも不可解な事件はその後多くの憶測を生んだ。事件が起きたのが大阪府熊取町という小さな町だった事から、この事件は「熊取町7人連続怪死事件」と呼称されている。
事件が起きたのは1992年4月29日、不良仲間とシンナーを吸引して遊んでいた17歳の少年が川で溺れて溺死した。5月29日、その友達もシンナー吸引により体調を崩し、心不全で死亡。両名とも事故死と判断されたが、特にこの少年はかなりシンナーに依存していたらしく、亡くなる前から心身共に衰弱しきっていたという。
6月4日、2人の悲報を聞いて熊取町に帰ってきていた17歳少年がたまねぎ小屋で首を吊って死亡した。遺書は見つかっていないが、ズボンのポケットに「借金を帰して欲しい」と書かれたメモが入っていた。この少年は、実際に2人の友人から十数万円借金をしていたという。
6月10日、たまねぎ小屋で首を吊って死亡した少年の親友だという18歳少年が納屋で首を吊って死亡した。自殺と断定されたが、この少年には彼女がおり、妊娠が発覚したばかりであった。また結婚も考えており、新居を探している最中だったという。このことから、この少年の自殺は不自然だと指摘されることが多い。実際、母親の証言によると遺体には不自然な点が多かったという。
6月17日、納屋で首を吊って死亡した少年の友人18歳少年が農業小屋で首を吊って死亡した。この少年は鳥羽市内の旅館で働いていたが、納屋で首を吊って死亡した少年の葬儀の為に熊取町に帰ってきていた。ここまで死亡した少年達は皆「不良少年」であるが、例にもれずこの少年も過去には窃盗や暴走行為を行っている。また、これまでの5人は間接的に繋がりがあり、町の中でも有名な「不良に属する者達」だったと言われている。
6月25日、これまでの少年グループとは関係のない22歳の男性岸和田市職員が熊取町の山林内の栗の木で首を吊って死亡した。この件も自殺と断定されたが、自殺にしてはあまりにも不自然な点が多かった。男性は栗の木でシャツを使って首を吊っていたが、この栗の木はあまりにも大きかった。実際栗の木は4m程あり、シャツを掛ける事すら困難だという。またこの青年は真面目で誠実な好青年だったと言われており、自殺なんてするハズがないと地元の方は言う。
7月2日、またこれまでの少年達とは関わりがない、19歳の女子大学生が熊取町営のグラウンド脇の側溝で倒れているのが発見された。女子大生は血まみれの状態で倒れていたが、かろうじて息はあった。女子大生はそんな状態でなぜか「違う、違う、」と呟いていたといいます。発見者はなにが違うのかは聞けなかった。
すぐに救急隊が駆け付けるが出血多量で後に死亡した。胸や首筋に切り傷があり、明らかに通り魔的犯行だと思われたが、警察は自殺と断定。自殺の動機はまったくなかったが、ためらい傷や凶器から他殺が考えられないという事から、なんと死因は果物ナイフで自らを刺した自殺と発表されたのだ。
以上が熊取町7人連続怪死事件の概要となる。この狭い範囲の中、2ヶ月半で7人の若者が亡くなったこの事件、明らかに不審な点が多くある事から、この事件は様々な憶測を生んだ。
これは噂の域をでませんが、亡くなった者達は殺害されたのではないかと噂される事が多い。特に最初の5人は不良仲間であったが、実はこの5人、様々な罪を犯していたという。強姦や窃盗、薬物の売買等、暴力団に目を付けられるような犯罪も行っていたという噂があるのだ。中でも当時の時代背景的に「シンナーの密売」は暴力団の収入源となっていた。
もしかするとこういった行動が暴力団の逆鱗に触れてしまったのかもしれない。また窃盗にあった被害者が暴力団だったなどという噂も存在している。これらの事から、暴力団が本格的に動いても可笑しくはない。実際、不審な車に付けられているという事を家族や友人に話している者もいた。
また他にも、この熊取町には原子力科学研究所があるのだが、そこには反原発を訴える有名な有識者数名が在籍しているという。そんな事から、この事件が原発問題になにかしらの関わりがあるのではないかと憶測を呼んでいる。ただ前述した死亡者の中にこれらの人物と関わりがある人物はいない。脅し目的や、なんらかの利権が絡んでいたとしてあまりにも現実的な方法ではない。
詳細は割愛するが、他にもこの町には七人の落ち武者伝説があるのだが、それに関連させた「怨霊説」や「儀式説」が存在している。なんにせよ、現在では時代背景的な不安や環境がこうした連鎖自殺を生んだと考えられている。ただやはりこの事件には何かしらの意図があるように思えるが、真相はわからないままだ。
水曜日の絞殺事件
※警察が公開した犯人の似顔絵
1975年から1989年の間に佐賀県で起きた7件の殺人事件です。11歳から50歳の女性が7名、被害者は7人中6人が水曜日に失踪していた。発見された遺体は、5件が絞殺、2件は既に白骨化していたと言います。被害者が主に水曜日に失踪していたことから、水曜日の絞殺事件と呼ばれています。
容疑者はすぐに浮上し犯人はすぐに逮捕されたのですが、裁判の結果、その人物は「無罪」となりました。それから真犯人の再捜査が行われましたが、現在でも真犯人は捕まっておらず不可解な残虐未解決事件となっています。
井の頭公園バラバラ殺人事件
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1994年4月、東京都三鷹市の井の頭公園(井の頭恩賜公園)内でバラバラになった遺体が発見された。被害者の遺体は、凶器で切り刻まれており、頭部や四肢がバラバラになって公園内のゴミ箱に遺棄されていました。この事件も当時の日本社会に大きな衝撃を与え、多くの人々の関心を引きつけました。ただこの事件はバラバラ殺人という極めて残忍な犯罪にもかかわらず、2009年に時効を迎えた未解決事件となっています。
事件は、1994年4月23日午前、東京都三鷹市にある井の頭公園内のゴミ箱からポリ袋に入った人間の足首が発見された。すぐに駆けつけた警察官らが公園内一帯を捜索したところ、合計7か所のゴミ箱から計27個に切断された手足や胴体の一部が発見された。この時発見された遺体は人間の約3分の1程度であり、残りは未だに発見されていない。おそらく発見が遅れて収集されてしまったと推測される。
また見つかった遺体の血液は全て抜かれており、手足の指紋は全て削り取られていた。その為、警察は被害者の特定に苦しんだが、僅かに残っていた指紋とDNAから被害者が公園の近くに住む当時35歳の一級建築士の男性だと判明した。調査の結果、男性の空白時間は8時間程であった。
切断された遺体は電動ノコギリのようなもので20cm間隔に切断されていたが、凶器の特定はできていない。また、死因も特定できておらず、目撃情報もほぼ皆無であった。唯一の手がかりが遺体であったが、あまりにも丁寧な処置は犯人の痕跡をほぼ全て消していた。唯一、若干の誤差ではあるが、切断方法が3パターンあった事からこの事件は複数犯なのではないかと考えられた。
また周辺の監視カメラ映像から、犯人がおそらく男性であることや、犯行現場に持ち込んだバッグが特定の店で販売されていることが判明した。ただ警察はこれ以上の痕跡を追う事ができなかった。被害者の交友関係からは全く犯人像が浮かばず、これだけ残虐な事件にも関わらず早々に警察はお手上げ状態となった。その後も犯人に結びつく物証や情報は乏しく、結局2009年4月23日に時効を迎えた。
この事件は当時、完全犯罪と呼ばれるほど話題になったが、ただ事件の3日後の4月26日に多数の死者を出す中華航空140便墜落事故が発生した為、メディアの興味はすぐに移り、この事件に関する報道は一気に激減したという。
時効から約6年後の2015年、情報提供者は不明だが新たな証言が浮上した。曰く、被害者の男性と当時この地域の露天商の元締め的存在の男性がそっくりだったという。この元締め男性は縄張り争いで度々揉め事を起こしており、事件当時も外国人露天商と揉めていたという。
さらに悪い事に、この外国人露天商の男性は某国の工作員であったという噂だ。つまりこの被害者の男性は元締め男性と勘違いされて殺害されてしまったのではないかと言うのだ。情報提供者が不明な事もあり信憑性は薄いが、手際の良い犯行は明らかにプロの犯行な為、もしかするとこの事件には本当にそういった権力が関わっているかもしれない。
まとめ
安全な日本でも奇怪な事件は多数起こっており、未解決の事件も多数存在します。なかには政治家や警察に隠蔽されている事件がある。などという噂が囁かれているものもありますが、真相はわかりません。ただ言える事は、他国から見ると犯罪件数が少ない日本ですが、その残虐性は非常に高いという事でしょうか。