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未解決事件「世田谷一家殺人事件」の真相|真犯人は北朝鮮の工作員だったのか

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2000年12月30日、平和で幸せあふれる一家全員が惨殺されました。8歳と6歳の子供までも殺され、更には母親と娘は包丁でめった刺しにされたという極めて残虐な事件です。これがいわゆる「世田谷一家殺人事件」です。

 

 

今回は、そんな残虐すぎる事件「世田谷一家殺人事件」の真相に迫っていきたいと思います。それではさっそく見て行きましょう。

 

世田谷一家殺人事件の概要

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※画像引用元はコチラ

 

2000年12月30日、東京都世田谷区上祖師谷3丁目に住む宮沢さん一家が殺害された。宮沢さん一家は2世帯住宅となっており、隣には殺された妻の宮沢泰子さんの母親が住んでいました。事件当時はちょうど年末だった為、なかなか顔を出さない娘を心配した母親が見に行った事で事件が発覚しました。

 

犯行時刻は、30日午後11時~31日の未明とされています。当時の周辺環境は、近くの都立祖師谷公園拡張により、たった4軒の家しか存在せず、かなり物静かな住環境だったといいます。

 

犯人は2階の浴室窓から侵入して、最初に2階寝室にある2段ベッド下段で寝ていたまだ保育園に通っていた6歳の息子:宮沢礼くんの首を絞めて殺害。その異音に気づいた父親が階段を登ってきたところで殺害された。※父親の殺害方法は他説あり。

 

父親である宮沢みきおさんと礼君が殺された後、母親である泰子さんと8歳になる宮沢にいなちゃんは3階の屋根裏部屋にある寝室で顔と首を切りつけられた。切り付けられた後、犯人は2人が死亡したと思いその場を一度離れましたが、実は2人ともその時点では死亡していませんでした。

 

犯人がその場を離れた後、母親は衰弱しながらも娘をどうにか助けようとした。ところが、すぐに犯人に見つかってしまい、宮沢家の包丁でめった刺しにされた。遺体は浴室とトイレの間にある2階の廊下に重なり合うように倒れていたという。

 

 

被害者(父親):宮沢みきおさんの経歴

被害者の宮沢みきおさんは、アメリカやイギリスの大手デザイン会社で働いていた経歴があり、英語が堪能で、デザイン面のスキルに長けていたと言われています。また、IT関係にも詳しかったようで、「インターネットでわかったこと・できたこと」という本を共著で出版しています。

 

被害者(母親):宮沢康子さんの経歴

被害者の宮沢みきおさんの妻・宮沢泰子さんは東洋英和女学院大学を卒業しており、その後、資生堂に入社。1986年に統一教会主催の自己啓発セミナーで宮沢みきおさんと知り合い、結婚し、一男一女(礼くんとにいなちゃん)に恵まれました。結婚を機に資生堂を退社し学習塾を開業、1990年には自宅で学習塾を開業していました。

 

世田谷一家殺人事件の犯人像

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※親族が公開した室内写真

 

通常犯罪者の心理としては、事件を起こすとその場から逃げるのが常識ですが、今回の事件の犯人はしばらく現場に居座っていたという。信じられないことに、犯行後、宮沢家の冷蔵庫にあったアイスクリームやメロンを食べ、麦茶まで飲んでいたという。

 

さらには、ソファーで仮眠までとった形跡があり、被害者宅のパソコンまでも使用された形跡がありました。このパソコンの使用履歴から、犯人は宮沢家に最大10時間は居座っていたと推測されています。

 

※パソコンの使用時刻が深夜1時18分と午前10時5分の2回に使われた形跡がありました。ただ、このパソコンの時間設定は犯人が故意に時間を操作したのではないかという見解もあり、実際に犯人が逃げた時間は深夜ではないかという説もあります。

 

世田谷一家殺人事件の手がかり

犯人が長時間現場に居座っていた為か、宮沢家にはかなりの数の犯人の痕跡が残されていた。犯人のものと視られる指紋や血痕の他にも、驚く事に、凶器である包丁も現場には残されていたという。また、犯人の物と視られる上着や帽子、足跡なども数多く見つかっている。逆にこれだけの証拠を残す現場は珍しいと言われているほど犯人の痕跡が見つかったのだ。

 

ただ、この多くの証拠が警察を油断させてしまったと言われている。実は、これらの証拠から警察は犯人が日本人だと決めつけて捜査を行っていたという。また、犯人がすぐ捕まる事を確信していた警察は、これらの捜査情報をメディアに流し続けてしまった。

 

結局、これらの行いは全て誤りであり、現在になっても犯人逮捕には至っていない。次第にメディアで取り上げられる機会もなくなり、やはり未解決事件となってしまった。時効はありませんが、時間の流れと共に当時の担当刑事などが退職してしまった為、現在ますます捜査は行き詰まっているといわれている。

 

世田谷一家殺人事件が起きた原因

では、ここからは事件の真相と犯人の動機について、いくつかの説があるので見て行きましょう。まず、被害者夫妻は元熱心な統一教会の信者であったが、事件の前に夫妻は統一教会を脱会していました。また、被害者夫妻は1990年5月にこの地に引っ越しをして2世帯住宅を建てておりますが、1991年ごろから祖師谷公園を拡張する計画があり、東京都側から周囲の住宅に立ち退き交渉が行われていました。この拡張工事の影響で被害者以外の家はほとんど引っ越していたのですが、当家族は断固拒否していたという。

 

上記の事を踏まえて、統一教会のメンバーに殺された説。地上げ屋関係の方達に殺されたという説が浮上しています。この他にもいくつか事件の要因はあるのですが、現在のところこれらの説が最有力とされています。

 

犯人は北朝鮮人で被害者は北朝鮮のスパイ

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※画像引用元はコチラ(在日本朝鮮人総聯合会:略称は朝鮮総聯)

 

宮沢みきおさんは以前、統一教会の信者でありましたが、実は北朝鮮のスパイだった。という説があります。元々、統一教会は反共産主義で、1990年頃からは北朝鮮と親密な関係にあったと言われています。突飛な話しですが、宮沢みきおさんが統一教会の信者で、北朝鮮のスパイだったというのも全然あり得る話なのです。

 

実際、宮沢みきおさんの妻である宮沢泰子さんの実家は、在日の不動産ブローカーです。つまり、泰子さんも朝鮮半島と関わりのある人物だったということです。そして、2人は統一教会主催の自己啓発セミナーで知り合ったので、宮沢みきおさんも何らかの形で北朝鮮と関わりがあっても可笑しくはないのです。

 

また、宮沢みきおさんはパチンコ店の売上を北朝鮮に送金したり、政治資金のルートを作ったりする仕事を過去に行っていた経歴があります。さらには、被害者宮沢みきおさんは日韓ワールドカップのマスコット関係のCI事業を担当していた事もありました。こういった仕事を隠れ蓑にしながら韓国・北朝鮮の情報を入手し、スパイ的な活動をしていたというのは案外ありえる話なのです。

 

事件の真相は朝鮮総連幹部の復讐

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※画像引用元はコチラ(犯人が穿いていたスニーカー)

 

2000年11月21日に日本で活動する北朝鮮のスパイの親玉的な人物、康成輝(カン・ソンヒ:朝鮮総連幹部)が交通事故の保険金詐欺容疑、公正証書原本不実記載容疑などで逮捕されました。※この際、カン・ソンヒ以外にも北朝鮮の工作員だった牧師やパチンコ店の店員など12人も逮捕されています。通称:新宿百人町事件。

 

実は、これを告発したのが被害者の宮沢みきおさんだったのではないかと言われています。そしてこの裏切り行為への見せしめに、宮沢みきおさん一家は殺害されてしまったのではないかと言われているのです。実際、この説を裏付けるように、事件現場付近からは「日本では発売されていない韓国製のスニーカーの足跡」が確認されていて、康成輝(カン・ソンヒ)が逮捕されたのは、宮沢さん一家殺害事件が発生した約1ヶ月前の事だった。

 

告発した理由は諸説あるが、当時、宮沢みきおさんには高収入な転職話が舞い込んでいたという噂がある。その為、後々邪魔になる工作員(スパイ)を裏切り、警察に情報を売って逮捕させた。と言われているのです。※このネタを盾にして転職しようとしていたという説もある。

 

まとめ

確かに現場からは現金20万円が奪われていましたが、事件の異常さから見ても金銭目的の犯行ではない事は明白です。また、単純な怨恨にしては異常な点が多く、どこか納得ができません。つまり、この事件は数ある未解決事件の中でも最も事件の動機が不明な事件と言えます。もしかすると、本当にこの事件には何か裏があるのかもしれません。

 

その為、北朝鮮が関係している説はかなり有力ではないかと言われています。カン・ソンヒが2004年に亡くなっている事から、より一層事件の真相解決が難しいと考えますが、どうにか犯人の逮捕と事件の真相が解明される事を願っております。