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世界最古の遺跡「ギョベクリテペ」の謎と闇|歴史を覆す超古代文明と宇宙人の関係性

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ギョベクリテペは、トルコ東部のシャンルウルファにある古代遺跡で、この遺跡は約12000年前に作られたと考えられています。そんなギョベクリテペでは、これまでに多くの謎に包まれた建造物や彫刻が発見されています。

 

お気づきかもしれませんが、ギョベクリテペの謎はこの古代文明がどのようにして生まれたかです。この遺跡が存在していた当時は、狩猟採集民族しかいなかったとされる時代です。史実上、文明が存在しているハズがありません。

 

しかし、ギョベクリテペで発掘された遺物を調査すると、この地域で農耕が行われていた可能性が指摘されるようになりました。また、建造物の配置や形状から、この地域には当時としては珍しい文化や信仰が存在していたことが示唆されたのです。

 

 

その謎を解くと人類史を大きく変えるかもしれないと言われているギョベクリテペ。今回は、そんなロマン溢れる謎について詳しく迫って行こうと思います。今もなお謎を解き明かすために多くの研究者が調査を続けていますが、現在公開されている情報を元に考察検証して行きたいと思います。それではさっそく見て行きましょう。

 

ギョベクリテペ遺跡とは

※画像引用元はコチラ

 

ギョベクリテペは、トルコ南東部のシャンルウルファ地方の郊外に位置する考古学的遺跡です。2018年にギョベクリテペは世界遺産に登録されており、トルコでも重要な観光地の一つとなっています。この遺跡は、紀元前12000年頃から紀元前8000年頃(新石器時代)に狩猟採集民によって建造それたと考えられており、現在「世界最古の遺跡」として認定されています。

 

1963年、アメリカとトルコの調査チームがこの地域の地質調査を行った際、この地域に墓地らしき丘がある事は確認されていたが、その後詳しく調査される事はなかった。約30年後の1995年に、農作業をしていた地元民がこの丘で巨大な石柱を発見。そして1996年、ドイツの考古学者「クラウス・シュミット」率いるドイツの考古学チームによって本格的な発掘調査が始まった。

 

現在発掘されているギョベクリテペの最も特徴的な遺跡は、複数の円形状の遺構です。ギョベクリテペでは巨大なT字型の石柱がいくつも円を描くように並べられており、直径約300mに及ぶ範囲内に約20個の円形状の遺構が確認されている。これらの石柱には人や動物、神話的な生物などの彫刻やレリーフが施されおり、石柱の総数は200本以上、高さは約6メートル、石柱の重さは約20トンに及ぶ。

 

これらは明らかに意図的に配置されており、神殿のような造りをしているのだが、いまのところこの構造物が何に使われていたのかははっきり分かっていない。また石柱には人や動物やレリーフが描かれていたが、これについても意味はわかっていない。中にはこれが「最古の象形文字」ではないかと考える者もいるが、意味があるものかすらわかっていない。

 

ただこのギョベクリテペはその建造時期やこれらの事から、これまで知られていた人類の文明の起源や進化についての考え方を大きく変える重要な発見に繋がると言われています。まだまだ謎は多いですが、実はこの遺跡からは、農業が始まる以前にも人類が複雑な社会的・宗教的な構造を持ち、大規模な建築物を建設できたことが示されているのです。

 

 

ギョベクリテペは世界最古の文明跡なのか

※画像引用元はコチラ

 

ギョベクリテペはこれまで最も古いとされてきたメソポタミア文明よりもさらに古い年代の物であることが調査の結果わかりました。つまり、世界最古の文明はこのギョベクリテペ遺跡のある場所にあった可能性があるのです。最古の文明と言われるメソポタミア文明が誕生したのが大体紀元前6000年前と言われているので、それより遥か昔に文明が存在した可能性があるということです。

 

人類が文明を持ち始めたのは、農業や牧畜の発展と同時だとされていますが、このギョベクリテペではそれ以前にも人類が複雑な社会的・宗教的な構造を持ち、大規模な建築物を建設していたことを示唆しています。実際、文明と文化の定義は置いといて、ギョベクリテペでは文化的な生活様式や信仰の形跡が確認されているのです。

 

最も簡単に根拠となるのが、やはりこの遺跡の規模だろう。これだけ大きな石柱を動かすには大人数が必要であり、一種のヒエラルキーが存在していた事がわかる。実際、石柱を切り出す「石切り場」なども確認されており、当時の人々にはそれぞれ役割があったのではないかと考えられている。そしてもしこの建造物が宗教施設であれば、この時代から「精神活動」が行われていた事になる。

 

これらの跡から読み解けるのが「文明跡」となるが、実際どの程度の文明なのかは今の所わかってはいない。どこからどのように石を運んだのか、何を食べていたのか、人々はどこに住んでいたのか等ギョベクリテペには他にも多くの謎が残されているが、今後その謎を解くことで、人類の進化や文明の起源についての新たな発見があるかもしれないのです。

 

ギョベクリテペは世紀の大発見だった

 

この遺跡の発掘は、本格的な発掘が始まってから数十年以上も経つが未だに全体の数パーセントほどしか発掘が進んでいない。全貌が解明されるまでには後50年以上は掛かるとも言われています。そして今後の調査で最も注目されるのがやはり「この遺跡が神殿なのか」という事です。

 

ちなみに、これまで世界最古の石造建築物とされていたのが、マルタ共和国のマルタ島にある巨石神殿群です。建造は紀元前4500年から紀元前2000年だと言われているが、これについても誰が作ったのか、何の為に作ったのかはわかっていません。しかしこの遺跡がもし神殿だったとしても、ギョベクリテペが神殿であった場合はそれより以前に最古の神殿が存在していたということになります。

 

人類史の常識では、宗教が生まれたのは農耕で定住が可能になってからだと考えられてきました。しかしこのギョペクリテペ遺跡の周辺には人が住んでいた痕跡が見当たりません。この事から、この頃人々は農耕を行なっていたのではなく、狩猟をして暮らしていたと予想されています。それを裏付けるように、遺跡付近からは石器や動物の骨が発見されている。

 

つまり、これらの事から、ギョベクリテペが本当に神殿だとしたら農耕が始まる以前に宗教があったということになります。農耕が始まり宗教が始まったのではなく、農耕が始まる前に人々は信仰を持っており、その信仰のための神殿造りのために農耕が始まったということになり、これまでの人類史を根底から覆す発見になります。実際、既に亡くなってしまったが、この説はドイツの調査チームの考古学者「クラウス・シュミット」も支持している。では、当時の人々は何を「信仰」していたのか。

 

ギョベクリテペと宇宙人の関係性

※画像引用元はコチラ(ヴァルチャーストーン)

 

エジプトのピラミッドやストーンヘンジといった古代遺跡にも確認できるが、やはりまず気になるのがその遺物の配置だろう。前述したが、このギョベクリテペ遺跡は円形状の遺跡群から成り立っているのだが、なぜかその配置は「高度な知識を要する配置」となっている。例え理屈がわかったとしても、T字型の巨大石柱は、1つ20トン以上、大きさは6メートルほどあります。文字すら存在していない時代にこういった正確な配置を行うのは不可能なはずだ。※ちなみにエジプトのピラミッドの謎についてはコチラの記事⇒【エジプトのピラミッドに隠された謎まとめ】をご参考にどうぞ。

 

また石柱には繊細な彫刻が施されていましたが、その中には天文学的な意味を持つ彫刻も確認されている。それがいくつかの「ヴァルチャーストーン」と呼ばれる石柱。この石柱をイギリスの研究機関が調査したところ、この石柱に描かれた彫刻は過去の天変地異を現しているのではないかというのだ。実際、この石柱に描かれた生物達を過去の星の位置と照らし合わせると、紀元前13000年頃のものだと判明した。この事から、これらの石柱にはなんらかの意味があるのではないかと考えられる。これについては今もなお研究が進んでいるが、それ以前に、何故狩猟民がこのような天文学の知識を持ち得ていたのか。※定説では天文学が取り入れられたのは紀元前3000年頃。

 

実はこの謎を解決する遺物が発見された。1993年、ギョベクリテペから10㎞ほど離れた所で奇妙な石像が出土したのだ。それが「ウルファ・マン」と呼ばれる石像。テレビ番組などでも見た事があるかもしれないが、この石像はシャンルウルファで見つかった事からウルファ・マンと呼称されている。

 

高さは約2mとなっており、調査の結果、製造時期もギョベクリテペと同時期である事がわかった。この石像が何の為に作られたかは未だ不明だが、この石像の発見により、これまでのギョベクリテペの謎が都市伝説的な憶測へと傾いていく事になった。口がないこの石像の見た目から、ギョベクリテペの多くの謎には宇宙人が関わっているのではと考えられるようになったのだ。

 

ギョベクリテペでは宇宙人を信仰していた

※画像引用元はコチラ(ウルファ・マン)

 

ウルファ・マンの見た目は明らかに人間だが、都市伝説界隈ではこのウルファ・マンが宇宙人そのものだと言われており、口がないのは「テレパシー」で会話ができるからだと考えている。また胴体部には近未来的な飾りが施されている為、高度な知恵を持った者だと考える。そんな事から、ギョベクリテペではこの「宇宙人」を崇めていたのではないかと考えられる場合があるのだ。

 

また、その見た目からこのウルファ・マンが「未来人」なのではないかと考える者も存在している。この説を支持している者は、近未来的な服装に口がない事はまさに「未来人の象徴」だと言う。実際に未来人の口がなかった訳ではなく、比喩的に「口がなくても会話できた者」だと主張する。つまりテレパシーや念じるだけで言葉を伝える事ができた何者かがこの時代に存在しており、知識を与えていたのではないかというのだ。

 

これらの説を裏付ける遺物や証拠は一切発見されていない為、これらはトンデモ論とされているが、実はギョベクリテペではこのほかにも謎の石像が見つかっている。中にはモアイ像のような石像も見つかっており、イースター島や様々な遺跡との繋がりも示唆しているのだ。※イースター島についてはコチラの記事⇒【科学的に解明できない世界のオーパーツまとめ】をご覧ください。

 

そう考えると、宇宙人説も強ち間違いではないのかもしれない。最も古いとされてきたメソポタミア文明時代以前、シュメール文明という超高度文明が存在していたと言われている。シュメール人は高度な知識と技術を持っており、その後の文明の繁栄に大きく寄与したと言われている謎の民族だが、このシュメール人のルーツは「アヌンナキ」にある。つまりシュメール文明以前に、人類の起源と言われるアヌンナキ達がこのギョベクリテペ周辺で文明を築いても可笑しくはないのだ。※人類の起源やアヌンナキについてはコチラの記事⇒【人類の起源は宇宙人「アヌンナキ」なのか】をご覧ください。

 

ギョベクリテペは意図的に隠された

とは言ってもこのウルファ・マンのような口がない石像はこれまでに数多く発見されている。その為、考古学的には口がないだけでは宇宙人と紐付く事はない。考古学的に考えた場合、こういった石像は人身御供の代用品として作られる場合が多い。つまり生贄信仰が存在していた事になるが、やはりこれについても詳しくはわかっていない。

 

またギョベクリテペでは「加工された頭蓋骨」なども見つかっている事から、一説では、ギョベクリテペは先祖や死者などの一種の「お墓」であったのではないかと考えられている。実際、ギョベクリテペ遺跡はなぜか二層構造になっており、造って埋める工程を繰り返している。ただ当時は死者を野晴らしで放置していた時代であり土葬ではない。

 

またなぜかこの遺跡は紀元前8000年頃から埋められたまま放置されている。この事から、現在ではこの遺跡は意図的に隠されたのではないかと考えられている。当時の狩猟民が後に隠したのか、その後の民族が隠したのかはわからないが、もしかするとこの遺跡に何らかの不都合があったのかもしれない。

 

先程のシュメール人も痕跡なく姿を消しているが、もし関係があるとするとこのギョベクリテペが最初の痕跡となる日も近いかもしれません。実際、最近の調査で明らかになってきたことですが、この遺跡には定住跡らしきものが確認されており、文明らしきものの痕跡がいくつか確認され始めている。今後どの説に繋がるかはわかりませんが、発掘が進むにつれてこれから事実が明らかになっていくでしょう。

 

 

まとめ

歴史を覆すような発見が隠されたギョベクリテペ遺跡ですが、学校で習うような古代遺跡に比べると知名度はまだまだ低いと言わざるを得ません。そして発掘がなかなか進まないのも不思議ですね。そのため「何か隠したいことがあって、意図的に発掘を遅らせているのでは?」なんていう陰謀説を唱える人まで出ています。

 

まだほんの少ししか発掘されていないにも関わらず、歴史的な大発見があったギョベクリテペ遺跡。全貌が明らかになる日が来たら、どんなことがわかるのか楽しみですね。2023年のトルコ南東部、大地震のような災害によって作業が中止にならない限り。