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山下財宝伝説に迫る!ゴールデン・リリーはフィリピンに存在する

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第二次世界大戦中にアジア中の黄金がフィリピンに集まった。

その総額は約1000兆円とも言われている。

そして、フィリピンを統治していた日本軍はその金塊をフィリピン全域に隠した。

それが今回紹介する山下財宝伝説というものだ。

 

 

今回は、まさに黄金伝説「山下財宝」についてご紹介致します。

 

山下財宝とは?

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※画像引用元はコチラ:山下奉文本人

 

山下財宝は、第二次世界大戦当時、日本陸軍第14方面軍司令官、山下奉文大将率いる旧日本軍がフィリピン全域に隠したとされる宝のことである。

 

「マレーの虎」の異名で知られている山下大将は、大戦当時、フィリピンを統治していた日本軍の大将なのでフィリピン人の中でも有名な日本人。実際に、フィリピンでは「ヤマシタ」という日本人の名前は誰もが知っているという。

 

そして、ヤマシタと言えば「トレジャー」という言葉が返ってくる。

山下財宝の起源は?

山下財宝には2つの起源が存在する。

 

一つ目は、太平洋戦争中に現在のミャンマーアジア各国などで日本軍が接収した金塊などをフィリピン国内に密かに隠したという説。

 

第二次大戦中、ヨーロッパの各国はナチスの略奪を恐れていたため、財産をアジアの植民地に移していたという。日本は運よくそれらを回収しながらアジアを侵攻していたため、この山下財宝の額は600兆~1000兆円ほどになると予想されている。

 

二つ目は、戦時中物資を調達するために日本からフィリピンに空輸された日本の金貨。これが終戦のどさくさに紛れて行方不明となったとされる説。※通称「ゴールデン・リリー」天皇の金塊と呼ばれるものだ。

 

まず、山下財宝と呼ばれているが、山下大将が直接埋めた財宝ではない。

これは、山下大将率いる日本軍によってフィリピン各所に埋められたとされる財宝伝説です。関係者が全員戦死、あるいは処刑されたため、そのほとんどの所在が今もわかっていない。山下大将も、降伏後すぐに戦犯としてフィリピンのマニラにて軍事裁判にかけられ絞首刑に処せられている。

 

※山下大将がフィリピン人労働者を使って財宝を埋めた。そのあとフィリピン人も埋めた。という説も存在する。財宝のタメなのかは不明だが、実際、山下大将はフィリピンで大量虐殺をしている歴史がある。

山下財宝伝説のその後

日本が撤退後、山下財宝の噂を聞きつけた当時のフィリピン大統領マルコスは、軍に財宝捜索を命じる。なんと、山下財宝の埋蔵に参加した現地人「ベン・ライナス」という人物が存在したというのだ。またある一説によると、マルコスは山下財宝の隠し場所を記した地図を入手していたという情報も存在する。

 

そして、マルコスは山下財宝の一部、数トンもの金塊を発見したという。マルコスはその後ハワイへ亡命する事になるのだが、それまで贅沢な生活を送っていたという。マルコスが手にした総額は現在の価値で150兆円以上だと言われています。

 

財宝発見はマルコスの嘘だった

ただそんな時、マルコスが山下財宝を発見したのは嘘だったという噂が広まった。

 

実は、マルコスは大統領になる前からかなり裕福だったため、これはマルコスが不正蓄財を言い逃れるためについた嘘だったというのです。

山下財宝の信憑性

中には「山下財宝はマルコスの作り話だ」「アメリカが横領した」などとの噂もあるが、この財宝を探している現地人や日本人は今でも数多く存在する。

 

実際、2018年にはフィリピンのカポネス島で違法な穴掘りをしていた日本人4人とフィリピン人13人が逮捕されている。※この時財宝の発見にはいたらなかった。

フィリピンの法律

ただ、なぜ穴を掘っただけで逮捕されたのか?

 

実は、フィリピンでは政府からの許可がないと発掘してはならないという法律がある。この事が「国が財宝の存在を証明している」とし、専門家たちはフィリピンにはまだ発見されていない宝が必ず存在すると証言している。そして、その額はなんと現在の価値で約600兆円以上に達するという。

まとめ

真偽のほどは定かではないが、マルコスが山下財宝の一部を発見したのは間違いないだろう。ただ150兆円というのは盛りすぎな気がする。正直想像ができない。

また、このマルコスについても謎が多い。20年にも渡ってフィリピンの国家資産を横領していたというが、全容がはっきりと分かっていないというのだ。もしかすると、山下財宝の手がかりはこのマルコスが握っていたのかもしれない。

ちなみに、山下大将は最後に辞世の句を残している。

「満ちて欠け晴れと曇りにかわれどもとわに冴え澄む大空の月」