世の中には本当に「呪われている物」が存在する。その効力は衰えることなく、今もなお人々を死に追いやっている。では実際にどのような物が「呪われている」のでしょうか。
今回は、世界に存在する「実際に呪われている物」をいくつかご紹介致します。全て呪われている物ですので、当記事の閲覧は自己責任でお願い致します。
王家の呪い
※画像引用元はコチラ
1922年、ハワード・カーター率いる考古学調査隊によって、第18王朝のファラオ、ツタンカーメンの墓が「王家の谷」で発見された。この出来事は歴史的大発見となったが、封印されていたツタンカーメンの墓の入口にはこのような呪いを連想させる文が刻まれていた。そしてこの言葉通り、呪いが次々と降りかかった。
「偉大なるファラオの墓にふれた者に、死はその素早き翼をもって飛びかかるであろう」
最初に被害にあったのは、王家の谷の発掘に参加していたカーナヴォン卿という人物。彼は蚊による感染症で発掘の6週間後に亡くなった。さらに、数年の間にその後も発掘に関わった十数名が次々と亡くなっていったと言われている。
ただ実はこの王家の呪い、今では作り話だと言われている。ツタンカーメンの墓(王家の谷)の入口に書かれていたという文も実際には確認されていないというのだ。実際に亡くなった者もいるが、ほとんどの者が高齢だったための寿命だと結論付けられている。
ラガディ・アン人形(アナベル)
映画「アナベル」のモデルになった人形。1968年、ドナという看護学生が誕生日に母親からヴィンテージの「ラガディ・アン人形」をプレゼントされた。※ラガディ・アンとは、アメリカで有名なキャラクター。
ドナはルームメイトとアパートに住んでいた為、その人形をアパートに持ち帰った。するとすぐに人形に奇妙な事が起こり始めたという。当初は微妙に人形の位置が変わっている程度であったが、明らかに人形の位置が勝手に変わり出したのだ。人形に血の様な液体が付いていた事もあったという。
霊媒師に相談したところ、この人形には、かつてアパートがある土地で亡くなった7歳の「アナベル・ヒギンズ」という少女の霊が取り憑いていることがわかった。ただ、霊媒師曰く、このアナベルはドナに親しみを感じており、危害を加える事はないと言った。そんな霊媒師の言葉を信じたドナは人形をそのまま部屋に置くことにした。
ただやはり奇妙な事が続いた為、ドナは有名な超常現象研究家であるウォーレン夫妻に再度調査依頼をした。すると人形に取り憑いているのが、少女の霊ではなく「悪霊」だった事が判明する。危害を加えられる可能性がある為、その後人形はウォーレン夫妻が経営するオカルト博物館で厳重に管理される事となった。
現在人形はオカルト博物館に展示されているが、そのガラスケースには「触ってはいけない、開けるな」という注意文が貼られている。それほど危険な「何か」が宿っている人形なのだが、ある時、面白がってケースを叩いた若い男性がいた。男性は、博物館からの帰り道、バイクごと木に衝突して即死した。
アイスマンの呪い
※画像はイメージ
1991年、アルプスにあるエッツ渓谷の氷河でミイラが発見された。発見された場所(エッツタール)にちなんで「エッツィ」と命名されたこのミイラはなんと5300年前のミイラだと判明した。
今でもこのミイラは研究対象となっているが、このミイラに関わった研究者が次々と死んでいくという。現在分かっているだけで、研究者や登山家など8人の不審死が確認されている。ミイラを最初に発見したヘルムートという人物も亡くなっているのだが、彼の死因が一番奇妙だった。
彼はミイラが発見されたエッツ渓谷で心臓発作で亡くなったのだが、発見された彼の遺体はミイラと同じ体勢だったという。画像と同じように左手を前に伸ばした状態で倒れていたというのだ。
※アイスマンの呪いに関しては謎の心臓発作など確かに奇妙な死因が確認されているが、ミイラの研究に携わっている関係者は100名以上いるため偶然かもしれない。さらに、ミイラ研究から数十年が経っているため亡くなる人がいても可笑しくはないという意見もある。
泣く少年(The Crying Boy)
※画像引用元はコチラ
1950年代、イタリアの作家ジョバンニ・ブラゴリンという人物が泣く少年の絵をいくつも描いていた。彼は数多くの泣き顔の子供達を描いていて、英国だけで50,000部以上が販売された。
ただ、この絵は呪われているという。この絵を飾ると火事になるといわれているのだ。いわくが生れたきっかけはある消防士からだった。実は一人の消防士がいくつもの火事の現場でこの少年の絵を目撃していたという。そんな情報がいくつも寄せられたため1985年に英国のニュースに取り上げられ「呪われた絵」となった。
ではこの少年は一体何者なのか。詳しくはわかっていないが、「火事で死んだ少年」「両親を火事で亡くした孤児」などがモデルとなっていると言われているようです。
ホープダイヤモンド
世界最大45カラットのブルーダイヤモンド。このダイヤは、9世紀、インド南部で農夫が発見しました。すぐに王室に回収されましたが、窃盗や売買などによりその後も数々の富豪や権力者の手を渡り歩いたという。
その中には、ルイ14世、マリー・アントワネット、マクリーン夫人などの有名な人物達もこのダイヤを手にしたと言います。そして、呪われてきたといいます。なんと、このダイヤを手にした者の家族や所持者自身に死が訪れたのです。そんな事もあり、いつしかこのダイヤは死を呼ぶダイヤとして有名になった。
ですが、現在ではそのほとんどが都市伝説だと言われています。実は、ホープダイヤの架空の所有者などを作り上げて、金儲けや本の執筆のために利用されてきたというのです。また、最後はハリー・ウィンストンからスミソニアン博物館に寄贈されたのですが、最後の持ち主であるハリー・ウィンストンも呪いをまったく信じていなかったという。
バズビーズチェア
※画像引用元はコチラ
1702年、イギリスのノース・ヨークシャー州で絞首刑に処された、殺人者トーマス・バズビーがいつも座っていた椅子。別名、デットマンズ・チェア。
椅子の歴史は、バズビーがひじ掛け椅子を譲り受けるところから始まります。バズビーはこの椅子をとても気に入りますが、その椅子に座るようになってから性格や素行が悪くなり暴力を振るうようになったと言います。そしてとうとうバズビーは人を殺めてしまうのです。
※これにはいくつか説が存在します。
・お気に入りの椅子に座られた怒りで殺害。
・単純に怒り狂って殺害。
そして、この罪でバズビーは絞首刑に処されるのです。バズビーの死後、この椅子はあるパブに置かれることになるのだが、それが死刑囚のものであることから「呪いがかけられている!」などと言ったバカげた噂が広まった。そんな噂を面白がって酔った勢いで座る者が後を絶たなかったという。
だが、この呪いの噂が本当になる。今までに60名以上が面白がって座ったのだが、なんと病気や事故などの原因で数々の者が本当に亡くなってしまったというのだ。
※現在では地元の博物館に所蔵され、二度と誰も座ることがないように天井から吊り下げられて展示されているという。ちなみに、バズビーは処刑前に「俺の椅子に座ってみろ。呪ってやるぞ」と言って死んだと言う噂もある。
不幸のミイラ「アメン・ラーの呪い」
※画像引用元はコチラ
1912年4月14日の深夜、当時世界最大の超豪華客船「タイタニック」が氷山に接触し沈没した。犠牲者数は乗員乗客合わせて約1,500人。このタイタニックの悲劇は20世紀最大の海難事故となった。タイタニックの沈没原因は安全管理の不備と不運が重なった為の「事故」として記録されている。ただ実は、この事故の原因が「呪い」によるものだと考えるものがいる。
タイタニック沈没前、エジプトである女性のミイラが発掘された。この女性のミイラが何者だったかは不明だが、「アメン・ラー」というエジプト神に仕えていた女性だったのではないかと推測されている。そして1910年、タイタニック沈没の2年前、ある考古学者がこのミイラを研究しようと、エジプトの商人から購入した。この際、前述した〖王家の呪い〗でも確認できた、「呪いを連想させる文字列」がこのミイラの棺にも刻まれたいたという。考古学者は気にも留めなかったが、その後本当に呪いが降りかかる事になる。
まずミイラを売った商人が謎の高熱で死亡。考古学者は狩りの最中に銃が暴発、腕を失ったという。またすぐにこの考古学者の助手が謎の高熱に罹り死亡している。流石に恐怖を感じ考古学者はミイラを手放す事にし、半ば強引にイギリスのコレクターに押し付けた。ただ呪い連鎖はその後も続いた。押し付けられたコレクターも謎の高熱に悩まされるようになってしまったのだ。次第にコレクターも限界になり、結局、ミイラはイギリスの大英博物館に寄贈されることになった。※現在もこのミイラは「不幸のミイラ」として収蔵されている。
この事によって呪いが治まったかと思えたが、このミイラの呪いが治まる事はなかった。このミイラは博物館に寄贈されてからも周りの者に不幸をもたらした。学芸員や博物館スタッフが頻繁に怪我をするようになり、謎の高熱で悩まされるようになってしまったというのだ。結局、博物館にも置けないという事になりアメリカへミイラを運ぶ事になった。そしてその輸送方法が「タイタニック」であった。そしてこのミイラが原因となりタイタニックは沈没した。
そんな噂が囁かれるようになった。ただこのミイラ、これまで大英博物館を出たことはなく、1912年にタイタニックに積まれた記録は存在しない。また大英博物館の公式記録では、このミイラの経緯は最後のイギリス人の寄贈者の情報しか記録されていない。つまり、それ以前の呪いに関する真偽は不明となっており、全て噂の域を出ない。何故タイタニックに乗っていたという情報が流布されたのかはわかっていないが、タイタニックの生存者がこの話を聞いて次第に尾ひれがついて広まってしまったものだと考えられている。
妖刀「村正」
※妖刀「村正」:画像引用元はコチラ
村正とは室町時代から江戸時代初期に掛けて伊勢(現在の三重県)の桑名という地名に存在していた刀工集団の名称となるが、この集団が作った刀も「村正」と呼ばれている。
当時、村正は実用性と切れ味に定評があった。ある逸話では、村正を川に突き立ててみたところ、上流から流れてきた葉っぱが吸い込まれるように村正に近づき、刀に触れた瞬間真っ二つに切れた。などの逸話も存在している。
そんな村正には妖刀と呼ばれる所以が存在している。実は、村正は徳川家の縁者を何人も殺害しているのだ。中には、徳川家康の祖父、父、嫡男などが実際に村正で切られ亡くなっている。(嫡男に関しては村正で切腹)そんな事から、村正は「徳川家に仇なす妖刀」として有名になった。実際、当時の徳川家は村正を恐れ、江戸時代初期に村正の所持を禁止としたという。
ただ前述した通り、村正の切れ味は当時の刀の中で群を抜いていた。もちろん誰もが握りたいと思うのは当然の事だ。実際、徳川家康自身もこの村正を所有していたという。そう考えると、村正に付く妖刀という言葉は一種の称揚なのかもしれない。
まとめ
伝説は信じる方が面白いですが、呪いとされるものは疑った方が面白いような気がします。実は呪いの裏には、お金儲けや話題作りが隠されている場合が多くあります。ぜひ楽しみながら考察してみて下さい。いつの間にか何かに憑りつかれている事でしょう。