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世界に存在する本当に「呪われた物」まとめ|永遠に消すことができない呪術&呪物まとめ

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呪いという言葉には、死や不安を煽る強力なパワーがあります。では実際にどのような物が「呪い」と言われるのでしょうか。

 

 

今回はそんな呪いについて、実際に呪われた物と一緒にご紹介致します。

 

王家の呪い

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※画像引用元はコチラ

 

1922年、ハワード・カーター率いる考古学調査隊によって、第18王朝のファラオ、ツタンカーメンの墓が王家の谷で発見された。この出来事は歴史的大発見となったが、封印されていたツタンカーメンの墓の入口にはこのような呪いを連想させる文が刻まれていた。

 

「偉大なるファラオの墓にふれた者に、死はその素早き翼をもって飛びかかるであろう」

 

そして、この言葉通り、それは始まった。最初に被害にあったのは、カーナヴォン卿という人物。彼は蚊による感染症で、発掘の6週間後に亡くなったという。さらに、その後も発掘に関わった十数名が次々と亡くなった。

 

ただ実はこの王家の呪い、今では作り話だと言われている。ツタンカーメンの墓の入口に書かれていたという文も実際には確認されていないというのだ。実際に亡くなった者もいるが、ほとんどの者が高齢だったための寿命だと結論付けられた。

 

アイスマンの呪い

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※実際に発見されたミイラ

 

1991年、アルプスにあるエッツ渓谷の氷河でミイラが発見された。発見された場所(エッツタール)にちなんで「エッツィ」と命名されたこのミイラはなんと5300年前のミイラだと判明した。

 

今でもこのミイラは研究対象となっているが、このミイラに関わった研究者が次々と死んでいくという。現在分かっているだけで、研究者や登山家など8人の不審死が確認されている。ミイラを最初に発見したヘルムートという人物も亡くなっているのだが、彼の死因が一番奇妙だった。

 

彼はミイラが発見されたエッツ渓谷で心臓発作で亡くなったのだが、発見された彼の遺体はミイラと同じ体勢だったという。画像と同じように左手を前に伸ばした状態で倒れていたというのだ。

 

※アイスマンの呪いに関しては謎の心臓発作など確かに奇妙な死因が確認されているが、ミイラの研究に携わっている関係者は100名以上いるため偶然かもしれない。さらに、ミイラ研究から数十年が経っているため亡くなる人がいても可笑しくないという意見もある。

 

泣く少年(The Crying Boy)

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※画像引用元はコチラ

 

1950年代、イタリアの作家ジョバンニ・ブラゴリンという人物が泣く少年の絵を描いていた。彼は数多くの泣き顔の子供達を描いていて、英国だけで50,000部以上が販売された。ただ、この絵は呪われているという。この絵を飾ると火事になるといわれているのだ。

 

火事の呪いが生れたきっかけはある消防士からだった。その消防士はいくつもの火事の現場でこの少年の絵を目撃していたという。

 

さらに、この少年の絵は建物が全焼するほどの現場でも燃える事がなかったというのだ。そんな情報がいくつも寄せられたため1985年に英国のニュースに取り上げられ「呪われた絵」となった。

 

ではこの少年は誰なのか。詳しくはわかっていないが、「火事で死んだ少年」「両親を火事で亡くした孤児」などがモデルとなっていると言われているようです。

 

ホープダイヤモンド

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世界最大45カラットのブルーダイヤモンド。このダイヤは、9世紀、インド南部で農夫が発見しました。すぐに王室に回収されましたが、窃盗や売買などによりその後も数々の富豪や権力者の手を渡り歩いたという。

 

その中には、ルイ14世、マリー・アントワネット、マクリーン夫人などの有名な人物達もこのダイヤを手にしたと言います。そして、呪われてきたといいます。なんと、このダイヤを手にした者の家族や所持者自身に死が訪れたのです。

 

そんな事もあり、いつしかこのダイヤは死を呼ぶダイヤとして有名になった。 

 

ですが、現在ではそのほとんどが都市伝説だと言われています。実は、ホープダイヤの架空の所有者などを作り上げて、金儲けや本の執筆のために利用されてきたというのです。また、最後はハリー・ウィンストンからスミソニアン博物館に寄贈されたのですが、最後の持ち主であるハリー・ウィンストンも呪いをまったく信じていなかったという。

 

バズビーズチェア

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※画像引用元はコチラ

 

1702年、イギリスのノース・ヨークシャー州で絞首刑に処された、殺人者トーマス・バズビーがいつも座っていた椅子。別名、デットマンズ・チェア。

 

椅子の歴史は、バズビーがひじ掛け椅子を譲り受けるところから始まります。バズビーはこの椅子をとても気に入りますが、その椅子に座るようになってから性格や素行が悪くなり暴力を振るうようになったと言います。そしてとうとうバズビーは人を殺めてしまうのです。

 

※これにはいくつか説が存在します。

・お気に入りの椅子に座られた怒りで殺害。

・単純に怒り狂って殺害。

 

そして、この罪でバズビーは絞首刑に処されるのです。バズビーの死後、この椅子はあるパブに置かれることになるのだが、それが死刑囚のものであることから「呪いがかけられている!」などと言ったバカげた噂が広まった。そんな噂を面白がって酔った勢いで座る者が後を絶たなかったという。

 

だが、この呪いの噂が本当になる。今までに60名以上が面白がって座ったのだが、なんと病気や事故などの原因で数々の者が本当に亡くなってしまったというのだ。

 

※現在では地元の博物館に所蔵され、二度と誰も座ることがないように天井から吊り下げられて展示されているという。ちなみに、バズビーは処刑前に「俺の椅子に座ってみろ!呪ってやるぞ!」と言って死んだと言う噂もある。

 

妖刀「村正」

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※妖刀「村正」:画像引用元はコチラ

 

村正とは室町時代から江戸時代初期に掛けて伊勢(現在の三重県)の桑名という地名に存在していた刀工集団の名称となるが、この集団が作った刀も「村正」と呼ばれている。

 

当時、村正は実用性と切れ味に定評があった。ある逸話では、村正を川に突き立ててみたところ、上流から流れてきた葉っぱが吸い込まれるように村正に近づき、刀に触れた瞬間真っ二つに切れた。という。

 

そんな村正には妖刀と呼ばれる所以が存在している。実は、村正は徳川家の縁者を何人も殺害しているのだ。中には、徳川家康の祖父、父、嫡男などが実際に村正で切ら亡くなっている。※嫡男に関しては村正で切腹。

 

そんな事から、村正は「徳川家に仇なす妖刀」として有名になった。実際、当時の徳川家は村正を恐れ、江戸時代初期に村正の所持を禁止としたという。

 

ただ前述した通り、村正の切れ味は当時の刀の中で群を抜いていた。もちろん誰もが握りたいと思うのは当然の事だ。実際、徳川家康自身もこの村正を所有していたという。そう考えると、村正に付く妖刀という言葉は一種の称揚なのかもしれない。

 

まとめ

伝説は信じる方が面白いですが、呪いとされるものは疑った方が面白いような気がします。実は呪いの裏には、お金儲けや話題作りが隠されている場合が多くあります。ぜひ楽しみながら考察してみて下さい。いつの間にか何かに憑りつかれている事でしょう。